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ことにふれて、やすからずくねくねしきこと出で来などして、おのづから御仲も 隔たるべかめり。
頭中将と夕顔の娘・玉鬘(源氏の養子)の娘・大君は桐壺帝と藤壺の息子・冷泉院(ほんとは源氏の息子)に嫁いだんだが、――もう、何がなんだか分からなくなってきたのだが――、これまたかわいい子たちを次々に生んだので、冷泉院(ほんとは源氏の息子)の本妻の弘徽殿の女御(えーと、桐壺帝の妻の弘徽殿太后の姉妹の四の君と頭中将の子ども)となんだか仲が悪くなってしまって、くねくねしきこと(心のひん曲がったこと)などが起こってしまうのであった。
宮中のみんなが、本妻の味方になって、あれこれと玉鬘に「だからいったじゃない」とか言ってくるので、玉鬘は悩み、
かからで、のどやかにめやすくて世を過ぐす人も多かめりかし。 限りなき幸ひなくて、宮仕への筋は、思ひ寄るまじきわざなりけり
と言うのであった。また桐壺帝と源氏のお母さんの時とおんなじで、まったくかわいそうであるが、――玉鬘ほどの身分の娘でもこんな感じなのだ。そもそも、ビバリーヒルズ高校白書で、カップルができるたびに三人ほど子どもができて、その子ども達が、子ども達どうしで編み物みたいな関係をつくりあげてゆく――感じが源氏物語であって、もう系図が複雑すぎて、あとは力関係、いじめであっちが上こっちが上みたいなことになるのであった。しかも、ビバリーヒルズの物語は、成り上がりブルジョアジーだから国政に影響はないが、源氏の世界は権力のど真ん中の話である。ブレンダがケリーと喧嘩しただけで国がどうにかなるかもしれない訳である。そりゃいじめも真剣になるわけだ。
こんないじめばかりやっておるから?、いざというときには、みんなで悪口を言えば相手がひるむと思っている輩はまだたくさんいる。ボスには喧嘩を売れない奴が自分より下と思い込んでいる相手の悪口を言って勉強も何もせず没落し続けている。なさけなや。
西部邁が「麦の穂を揺らす風」についての感想を「シンフェーンの覚悟」というエッセイで書いていた。ゲール語で「シンフォーン」というのは「われらのみ」という意味だそうだ。IRA(アイリッシュ共和軍)の党名である。アイルランド独立運動のさなか、党の公的な命令で肉親を殺すことになった男たちが背負っている「祖国」とは、そのような公的な論理を認めない女たちがその実体だというのが、西部氏の主張である。たしかにそうかもしれない。その論理的にはねじれている関係こそ運動の肝なのである。西部氏は、韓国にもそれがあると示唆していたが、わたくしもそう思う。
考えてみると、源氏の世界は、一歩恋愛に踏み出しただけで、どこに暴力的作用を生み出すか分からない関係にコミットすることになり、誰かを裏切ることになるのである。まだこの世界の方が、相手を論破して喜んでしまうような小学生みたいな世界よりはましである気がする。