★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

新・みこしまくり伝説(現代編)

2010-07-27 16:28:50 | 神社仏閣
言い忘れたが、まくられるみこしは、天狗(猿田彦らしい……)に先導された長い行列の一角を占めるに過ぎない。行列の真ん中当たりであろうか。みこしは原則、前にいるだんじりや猿田彦を追い抜いてはいけないそうである。

天狗が煽動(←間違えた)しているというのも、面白いけど、「だんじり」が気になる。



これをみるとよくわからないが、「だんじり」には菊の御紋がついている。過去の記憶を探ってみると――あ、そういえばついてたわ。そもそもはじめ「だんじり」は京都でつくられ、囃子も祇園の人に教えてもらったそうである。はじめは資金を出した上町の独身男性しか「だんじり」に乗せてもらえなかったらしい。上町にいた芸者さんが長唄をうたっていた時代もあったそうだ。(例の絵馬をみると、男女が能か何かを演じているように見えるんだが……。そもそも祇園祭のまねだったんじゃないかな、結局……)

結局大人が乗っていても人気が出ないので、昭和50年代から小学生を訓練して乗せることにしたらしい。で、この祭囃子隊の一員だったのが、私の妹である。妹は、結局、京都に嫁に行き、日舞の師匠をやっている。今日もつくばで踊っていたらしい。理系の大学院にまで行ったのに、遊び人の血には勝てなかった。昔からやってることはかわらんなあ、というより「だんじり」の故郷に行った訳だ……。

妹は私よりピアノも上手く芸事の才能がそもそもあった。父親も謡をやっていたので、そんなことが間接的に影響しているかもしれぬ。が、私と言えば、天狗は怖いし、御神輿も荒くれ男が担いでいるので、夜あがる花火の方が好きであった……。

というのは嘘で、小学校低学年のころは、水無神社の祭りとは別の、自分の地区の祭(八沢祭り)で、子どもが担げるちゃらちゃらした「子どもみこし」を嬉々として担いでいたそうだ。……と、他人事のように言ってるが、実はかなりはっきり覚えている。「わっしょい、わっしょい」のかけ声だけ人一倍でかい声で叫んでいた癖に、私は背が低すぎて地面に足が着いていなかった。つまりみこしにぶら下がっていたのである、目当ては、休憩中に配られるアイスクリームであった。

今日も論文を書き書き、小難しいことをこねている私であるが、昔はただのお祭り好きのガキであった。


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2 コメント

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ほほう、 (ちこ)
2010-07-30 09:37:24
里帰りした訳ですね。
しかしお囃子の節は随分変わったものだ・・・。
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 (城う)
2010-08-01 05:25:03
御神輿担ぐ人が歌う歌も、江戸時代の歌舞伎唄かなんかで流行してたものの影響が大きいそうですな。いずれにせよ、変化させながらしらないうちにいろいろ保存してゆく、これが日本の文化伝承のやり方でしょうね。
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