言い忘れたが、まくられるみこしは、天狗(猿田彦らしい……)に先導された長い行列の一角を占めるに過ぎない。行列の真ん中当たりであろうか。みこしは原則、前にいるだんじりや猿田彦を追い抜いてはいけないそうである。
天狗が煽動(←間違えた)しているというのも、面白いけど、「だんじり」が気になる。
これをみるとよくわからないが、「だんじり」には菊の御紋がついている。過去の記憶を探ってみると――あ、そういえばついてたわ。そもそもはじめ「だんじり」は京都でつくられ、囃子も祇園の人に教えてもらったそうである。はじめは資金を出した上町の独身男性しか「だんじり」に乗せてもらえなかったらしい。上町にいた芸者さんが長唄をうたっていた時代もあったそうだ。(例の絵馬をみると、男女が能か何かを演じているように見えるんだが……。そもそも祇園祭のまねだったんじゃないかな、結局……)
結局大人が乗っていても人気が出ないので、昭和50年代から小学生を訓練して乗せることにしたらしい。で、この祭囃子隊の一員だったのが、私の妹である。妹は、結局、京都に嫁に行き、日舞の師匠をやっている。今日もつくばで踊っていたらしい。理系の大学院にまで行ったのに、遊び人の血には勝てなかった。昔からやってることはかわらんなあ、というより「だんじり」の故郷に行った訳だ……。
妹は私よりピアノも上手く芸事の才能がそもそもあった。父親も謡をやっていたので、そんなことが間接的に影響しているかもしれぬ。が、私と言えば、天狗は怖いし、御神輿も荒くれ男が担いでいるので、夜あがる花火の方が好きであった……。
というのは嘘で、小学校低学年のころは、水無神社の祭りとは別の、自分の地区の祭(八沢祭り)で、子どもが担げるちゃらちゃらした「子どもみこし」を嬉々として担いでいたそうだ。……と、他人事のように言ってるが、実はかなりはっきり覚えている。「わっしょい、わっしょい」のかけ声だけ人一倍でかい声で叫んでいた癖に、私は背が低すぎて地面に足が着いていなかった。つまりみこしにぶら下がっていたのである、目当ては、休憩中に配られるアイスクリームであった。
今日も論文を書き書き、小難しいことをこねている私であるが、昔はただのお祭り好きのガキであった。
天狗が煽動(←間違えた)しているというのも、面白いけど、「だんじり」が気になる。
これをみるとよくわからないが、「だんじり」には菊の御紋がついている。過去の記憶を探ってみると――あ、そういえばついてたわ。そもそもはじめ「だんじり」は京都でつくられ、囃子も祇園の人に教えてもらったそうである。はじめは資金を出した上町の独身男性しか「だんじり」に乗せてもらえなかったらしい。上町にいた芸者さんが長唄をうたっていた時代もあったそうだ。(例の絵馬をみると、男女が能か何かを演じているように見えるんだが……。そもそも祇園祭のまねだったんじゃないかな、結局……)
結局大人が乗っていても人気が出ないので、昭和50年代から小学生を訓練して乗せることにしたらしい。で、この祭囃子隊の一員だったのが、私の妹である。妹は、結局、京都に嫁に行き、日舞の師匠をやっている。今日もつくばで踊っていたらしい。理系の大学院にまで行ったのに、遊び人の血には勝てなかった。昔からやってることはかわらんなあ、というより「だんじり」の故郷に行った訳だ……。
妹は私よりピアノも上手く芸事の才能がそもそもあった。父親も謡をやっていたので、そんなことが間接的に影響しているかもしれぬ。が、私と言えば、天狗は怖いし、御神輿も荒くれ男が担いでいるので、夜あがる花火の方が好きであった……。
というのは嘘で、小学校低学年のころは、水無神社の祭りとは別の、自分の地区の祭(八沢祭り)で、子どもが担げるちゃらちゃらした「子どもみこし」を嬉々として担いでいたそうだ。……と、他人事のように言ってるが、実はかなりはっきり覚えている。「わっしょい、わっしょい」のかけ声だけ人一倍でかい声で叫んでいた癖に、私は背が低すぎて地面に足が着いていなかった。つまりみこしにぶら下がっていたのである、目当ては、休憩中に配られるアイスクリームであった。
今日も論文を書き書き、小難しいことをこねている私であるが、昔はただのお祭り好きのガキであった。
しかしお囃子の節は随分変わったものだ・・・。