今日はくり~んきゃんぱすといって、学内を掃除する行事でした。教員も参加するのだ。私もよい子なので参加した。国語の学生もよい子で働き者なので当然参加した。私も国語の学生も浮世離れはしかかっているが、いつも観念的に実践的な連中に限って非実践的なのは昔からの人間的常識なのだ、このぐらいは分かっている。彼らは実践的にうまくいかないのが自分のせいにできないほど精神が脆弱なので、他人の非実践ぶりを批判することで興奮し自分を支えるのである。かくいう私が衣食住に対して実践的だとは限らないところが悲しいところであるが、――ただし、掃除とか、妹の散らかしたおもちゃとかを代わりに片づけるとか、そういうことは私は嫌いではない。カリスマに生活能力がないとか、いつの時代のロマン派であろうか……そんなものはもう前世紀の前半で崩壊したはずではなかったか。しかし残念ながら私はカリスマですらない。
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