最近、世界中でピコ太郎という人がはやっているらしいのだが、さっき「ピコん太郎」と言ってみて気持ち悪く笑ってしまったことを白状します。わたくしはピコ太郎より「サザエさん」の方が好きです。
憲法二十四条を改正しなければいけない理由として「サザエさんが人気あるから」とか言っている団体があると聞くが、この人たちは本当に原作を読んだことがあるのであろうか。「サザエさん」からちらちら見えるのは、家制度に対する悪意である。暴力的なタラオやカツオは言うに及ばず、誰も「いい人」がいない。作者の長谷川町子自身は独身だったが、確かどこかで、結婚なんかしたら夫や子供の世話で一生を棒に振る、むしろお嫁さんがほしい、とか何とか言っていた。
三世代同居といっても、おじいさんおばあさん(みたいな風貌の夫婦)がまだ若く小学生の自分の子どもを育てているという妙な設定である。年の離れた姉のサザエさんがタラオを育てているのは、戦前によくあった、姉が年の離れた弟を育てるという状況に近く……。この家族が奇妙にうまく回っているのは、お荷物がいないという設定によるところが大きいと思う。彼らが歳をとらないのは、介護や受験や失職など、誰かが家族の誰かに我慢を強いる状況になってはならないからである。家事……?主婦が二人(フネとサザエ)いるんだよな、このマンガでは……。このマンガを支えるヒューマニズムは、偶然に
今気付いたのだが、サザエさん一家は、「一億総活躍」状態なのだ。上の団体が「サザエさん」を褒めるのはそのせいかもしれない。
家族という単位を大切にしているといえば、むしろ西原理恵子の「毎日かあさん」や「ぼくんち」の方が当てはまっている。ただし……クズ男がいなくなるというのが彼女の家族の条件であった。
付記)上の「サザエさん」の家族構成の奇妙さについては、すでに中井久夫が「フクちゃんとサザエさん」(『「つながり」の精神病理』)で指摘していた。中井は、親子の成長を阻害するのは、サザエさんのような「過渡期の人間」が存在しない状態から、思春期、介護などの「過渡期」に移行した時に、家族がそれを受け入れられず、以前の状態に戻ろうとしてしまうことだと言っている。サザエさんは中井によると、「一九六〇年代の永遠化」だそうだ。(2017年7月20日記)