★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

犬死にしてこそ臥したりけれ

2021-03-24 23:25:51 | 文学


中野藤内左衛門は義貞に目加せして、「千鈞の弩は為鼷鼠不発機」と申しけるを、義貞聞きも敢へず、「失士独り免るるは非我意」と云ひて、なほ敵の中へ懸け入らんと、駿馬に一鞭を勧めらる。この馬名誉の駿足なりければ、一二丈の堀をも前々容易く越えけるが、五筋まで射立てられたる矢にや弱りけん。小溝一つを越へかねて、屏風を倒すが如く、岸の下にぞ転びける。義貞左手の足を敷かれて、起き上がらんとし給ふところに、白羽の矢一筋、真つ向の外れ、眉間の真ん中にぞ立つたりける。急所の痛手なれば、一矢に目暮れ心迷ひければ、義貞今は叶はじとや思ひけん、抜いたる太刀を左の手に取り渡し、自ら首を掻き切つて、深泥の中に隠して、その上に横たはつてぞ伏し給ひける。越中の国の住人氏家中務の丞重国、畔を伝ひて走り寄り、その首を取つて鋒に貫き、鎧・太刀・刀同じく取り持つて、黒丸の城へ馳せ帰る。義貞の前に畷を阻てて戦ひける結城上野の介・中野藤内左衛門の尉・金持太郎左衛門の尉、これら馬より飛んで下り、義貞の死骸の前に跪いて、腹掻き切つて重なり臥す。この外四十余騎の兵、皆堀り溝の中に射落とされて、敵の独りをも取り得ず。犬死にしてこそ臥したりけれ。

前にも論文で書いたことがあるが、戦争とは時間であり、継起する出来事は形式論理的に同定されてゆく。これはこれで描くのは大変だとはいえ、作品を人工的につくりあげる、源氏物語的な営為の方が、テキストの言葉同士の関係――空間的な処理が必要とされる。人間的なものは、どちらにあるのか。当たり前であるが、後者の方なのだ。我々の自我は時間ではなく、言葉どうしの折り返しで成立している。それは面倒くさいので、ときどき、単線的な戦争の時間を望んだりするのであるが、こっちの方が人間的には常軌を逸している。時間に従う生命としての異常性がある。

ヴァレリーが言ったように、本質的なものは、生命に逆らう。

この国のなにがだめかって、自分達の「本質的」研究をしなくなったことである。自分の思考や行動がどういう風に沸いてでてんのか不思議に思わないのが異常である。そこに文化的なものがからんでいないわけがない。源氏物語や舞姫の解釈や研究というのは、いまだに自分達を知る第一歩、というより、そんな第一歩が踏み出せたら結構それだけでものすごいことだとやってみれば分かる。そうではなく、インプットやアウトプットみたいな発想ですべて形式論理的に理解しようとしているから、なにか自分でやってって異和感を生じ、いらいらがはじまる。これこそが、生命に対する人間のいらいらである。

これは、学部から大学院にかけて大概の学徒が苦労するところだが、注釈や腑分けにあしをとられ、作品が読めなくなってしまう過渡的な時期がある。小林秀雄に言われるまでもなく、原因を知ることは物事をしることには直結しない。これとおんなじである。

わたしは太平記よりも平家物語の方が、更には、源氏物語のほうが身近で自分に近い気がする。内容がそりゃ今が戦時じゃないからと言われればそうなんだが、やはり文学である度合いが高いほど作品は読者へ接近してゆくのではないか。それは、言葉と言葉の関係を考えること、自分を空間的になり立たすことである。そうでなければ、我々は時間に流されてゆく生物に過ぎない。

しかしほんとは、源氏物語的な時代は終わってて、――つまり、いらいらに耐えられない我々が、次々に罪をおかすために、もっと宗教的なものでなんとかするしかない時代なのかも知れないが。

殉死にはいつどうしてきまったともなく、自然に掟が出来ている。どれほど殿様を大切に思えばといって、誰でも勝手に殉死が出来るものではない。泰平の世の江戸参勤のお供、いざ戦争というときの陣中へのお供と同じことで、死天の山三途の川のお供をするにもぜひ殿様のお許しを得なくてはならない。その許しもないのに死んでは、それは犬死である。武士は名聞が大切だから、犬死はしない。敵陣に飛び込んで討死をするのは立派ではあるが、軍令にそむいて抜駈けをして死んでは功にはならない。それが犬死であると同じことで、お許しのないに殉死しては、これも犬死である。たまにそういう人で犬死にならないのは、値遇を得た君臣の間に黙契があって、お許しはなくてもお許しがあったのと変らぬのである。仏涅槃ののちに起った大乗の教えは、仏のお許しはなかったが、過現未を通じて知らぬことのない仏は、そういう教えが出て来るものだと知って懸許しておいたものだとしてある。お許しがないのに殉死の出来るのは、金口で説かれると同じように、大乗の教えを説くようなものであろう。

――森鷗外「阿部一族」


はたして「太平記」の作者は、新田義貞への殉死を決行した彼らは「犬死」だったとはっきり言っている。お許しもないのに……。思うに、人の死に対して、軽口を叩き、悟る気もないのが庶民の強さというものではなかったであろうか。