愚かなるかな関東の勇士、久しく天下を保ち、威を遍く海内に覆ひしかども、国を治むる心なかりしかば、堅甲利兵、徒らに梃楚の為に被摧て、滅亡を瞬目の中に得たる事、驕れる者は失し倹なる者は存す。古より今に至るまでこれあり。この裏に向かつて頭を廻らす人、天道は盈てるを欠く事を不知して、なほ人の欲心の厭ふことなきに溺る。豈不迷や。
太平記の貧しさというのは、こういうところにあると思う。天道と人の欲心についての因果をはなから追究する気がないのだ。天道とかいって――空を見上げるとわれわれは脳みそが萎縮してしまうのであろうか。今日は、ネット上で、T大の広報誌が発狂しているという評判で騒がれていた。私も見てみたが、確かに天道の、いや天下のT大も真っ逆さまに欠けているようである。
しかし、T大が発狂しているという人もいるが私は反対だ。あれは大まじめなのである。いつもそうである。発狂しているのではなく、頭がおかしい、いや最適化への努力が常軌を逸しているのである。宮台真司のいう「優等生病」であるが、彼自身、「傾向と対策」で事態を打開するところがあり、卒業生だけによく分かっているのだ。だからこそ穏便な表現になっている。
この病は、別に優等生だけの病ではない。地方国公立の広報誌が70点しかとれないところを100点とってるだけなのである。優等生病のキチガイとまともな庶民が別にいるのではなく、グラデーションになっているだけだ。70点の問題も厳然として存在する、とはわたしはおもわない。その証拠に、その光を放ってきたらしい総長は、入学式で新入生に「毎日、新聞を読みますか」とかいわなくてはならんかったらしいではないか。
書斎には、いつでも季節の花が、活き活きと咲いている。けさは水仙を床の間の壺に投げ入れた。ああ、日本は、佳い国だ。パンが無くなっても、酒が足りなくなっても、花だけは、花だけは、どこの花屋さんの店頭を見ても、いっぱい、いっぱい、紅、黄、白、紫の色を競い咲き驕っているではないか。この美事さを、日本よ、世界に誇れ!
私はこのごろ、破れたドテラなんか着ていない。朝起きた時から、よごれの無い、縞目のあざやかな着物を着て、きっちり角帯をしめている。ちょっと近所の友人の家を訪れる時にも、かならず第一の正装をするのだ。ふところには、洗ったばかりのハンケチが、きちんと四つに畳まれてはいっている。
私は、このごろ、どうしてだか、紋服を着て歩きたくて仕様がない。
けさ、花を買って帰る途中、三鷹駅前の広場に、古風な馬車が客を待っているのを見た。明治、鹿鳴館のにおいがあった。私は、あまりの懐しさに、馭者に尋ねた。
「この馬車は、どこへ行くのですか。」
「さあ、どこへでも。」老いた馭者は、あいそよく答えた。「タキシイだよ。」
「銀座へ行ってくれますか。」
「銀座は遠いよ。」笑い出した。「電車で行けよ。」
私は此の馬車に乗って銀座八丁を練りあるいてみたかったのだ。鶴の丸(私の家の紋は、鶴の丸だ)の紋服を着て、仙台平の袴をはいて、白足袋、そんな姿でこの馬車にゆったり乗って銀座八丁を練りあるきたい。ああ、このごろ私は毎日、新郎の心で生きている。
┌昭和十六年十二月八日之を記せり。 ┐
└この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。┘
└この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。┘
――太宰治「新郎」
所詮最適化大学を出た作者の面目躍如たる文章である。しかしさすが現代のTのように神の光を称したりしない、どうせ驕り高ぶるなら、神の光ではなく、花のように驕るべきなのである。今日も、ニュースで学校の先生が泣きながら、太宰のように「紋服」を着て卒業証書を子供にわたしていた。泣いている場合なのか、この世の中で。