「いでさらば、又寄手たばかりて居眠さまさん。」とて、芥を以て人長に人形を二三十作て、甲冑をきせ兵杖を持せて、夜中に城の麓に立置き、前に畳楯をつき双べ、其後ろにすぐりたる兵五百人を交へて、夜のほのぼのと明ける霞の下より、同時に時をどつと作る。四方の寄手時の声を聞て、「すはや城の中より打出たるは、是こそ敵の運の尽る処の死狂よ。」とて我先にとぞ攻合せける。城の兵兼て巧たる事なれば、矢軍ちとする様にして大勢相近づけて、人形許を木がくれに残し置て、兵は皆次第々々に城の上へ引上る。寄手人形を実の兵ぞと心得て、是を打んと相集る。正成所存の如く敵をたばかり寄せて、大石を四五十、一度にばつと発す。一所に集りたる敵三百余人、矢庭に被討殺、半死半生の者五百余人に及り。軍はてゝ是を見れば、哀大剛の者哉と覚て、一足も引ざりつる兵、皆人にはあらで藁にて作れる人形也。是を討んと相集て、石に打れ矢に当て死せるも高名ならず、又是を危て進得ざりつるも臆病の程顕れて云甲斐なし。唯兎にも角にも万人の物笑ひとぞ成にける。
楠木軍対幕府軍。有名なわら人形の場面である。楠木軍がしかけた人形めがけて突撃した幕府軍に上から大石を浴びせかけたのである。いまは忘れかけているが、石というのは戦争の時には必殺の兇器のひとつである。巨石の遺跡とか、我々のくにでもよくあるご神体としての巨石とか、上の写真だと尾道の千光寺の巨岩とか、さまざまなものがあるが、それは明らかに殺傷の記憶と繋がっているはずである。それはしかしそれは死を悟る道であって、ほんと、日本は石の墓だらけである。
夕刊にはもう桜が咲いたと云うニュースが出ていた。尾道の千光寺の桜もいいだろうとふっと思う。あの桜の並木の中には、私の恋人が大きい林檎を噛んでいた。海添いの桜並木、海の上からも、薄紅い桜がこんもり見えていた。私は絵を描くその恋人を大変愛していたのだけれど、私が早い事会いに行けないのを感違いして、そのひとは町の看護婦さんと一緒になってしまった。ベニのように、何でもガムシャラでなくてはおいてけぼりを喰ってしまう。桜はまた新らしい姿で咲き始めている。――やがてベニはパパが帰って来たので、帯と足袋を両手にかかえると、よその家へ行くようにオズオズ帰って行った。別に呶鳴り声もきこえては来ない。あのパパは、案外ケンメイなのかも知れないと思う。ベニが捨てて行った紙屑を開いてみたら、宿屋の勘定がきだった。
十四円七十三銭也。八ツ山ホテル、品川へ行ったのかしら、二人で十四円七十銭、しかもこれが四日間の滞在費、八ツ山ホテルと云う歪んだ風景が目に浮んでくる。
――林芙美子「放浪記」
林芙美子は、桜がとか言って、その実男のことばかり書いている。石に集中すれば、死と結びついた悟りの道に進んだかも知れないのに、彼女の進んだのはそうではない道であった。しかしそれで、彼女は生の文学をつくりだした。戦時下の彼女を読むと、戦争すらも人が死ぬことであると認識しているかあやしいのだ。それは人でなしという意味でなくて、むしろ、死をも生と見るという意味で。