★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

能的世界の回帰

2021-03-29 23:57:11 | 文学


塩冶が一族に、山城守宗村と申ける者内へ走入り、持たる太刀を取直して、雪よりも清く花よりも妙なる女房の、胸の下をつきさくに、紅の血を淋き、つと突とほせば、あつと云声幽に聞えて、薄衣の下に伏給ふ。五つになる少人、太刀の影に驚て、わつと泣て、「母御なう。」とて、空き人に取附たるを、山城守心強かき抱き、太刀の柄を垣にあて、諸共に鐔本迄貫れて、抱附てぞ死にける。自余の輩二十二人、「今は心安し。」と悦て、髪を乱し大袒に成て、敵近附ば走懸々々、火を散してぞ切合たる。とても遁まじき命也。さのみ罪を造ては何かせんとは思ながら、爰にて敵を暫も支たらば、判官少も落延る事もやと、「塩冶爰にあり、高貞此にあり。首取て師直に見せぬか。」と、名乗懸々々々、二時許ぞ戦たる。今は矢種も射尽しぬ。切創負はぬ者も無りければ、家の戸口に火を懸て、猛火の中に走り入、二十二人の者共は、思々に腹切て、焼こがれてぞ失にける。

歳をとってくると、案外、悪夢というものが身に堪えるようになったりするものであるが、これはやはり覚めているときの状況の悪さに対応しているようにも見える。現実の因果律の訳のわからなさが夢に近づくのだ。かくして寝ても覚めても悪夢状態となる。

今日は、届いた『クラシック名曲「酷評」事典』を少し読んだが、確かに罵詈雑言の批評が紹介されていた。その罵詈雑言にはそのまま絶賛の批評に使えるような文章がある。ちゃんと音楽を観察して描写しているからである。こういうのに比べると、ネット上の大概の罵詈雑言が、観察の貧困さ、短絡的であることによってだめなのね、というのが分かる。

要するに――この罵詈雑言の批評は、現実における悪夢をよき夢に変換できるという、創ることの可能性をも示しているわけである。批評というものは徹底的に「作品=現実的」なのだ。対して、分析が十全ではなく、悪意が貧しい分析の裏に窺われたり、批評者の頭の悪さが果てしなく感じられたりすると、日本のネット社会になる。ネットは現実と位相が違うはずなのに、書き込む人間と悪口の因果関係が分からなくなると、現実でもネットでも半信半疑が始まり、その位相が混ざってしまうのだ。

太平記を読んでいると、当時の社会は、仏教などに別世界を持っていながら、それを行使して現実の因果を分析できずに、その思想のありがたい文句がいまいち使えないような状態になっていたことが分かるような気がするのだ。すると、不明な因果を単純にしたうえで浄土思想なんかに直接に現実を当てはめようとした結果、極楽か地獄かを極端に分けようとするような殺し合いの世界が現実においても虚構においても志向されてしまうのである。

上の場面はホントに地獄的だが、これが地獄的なのは、原因が思い上がったクズの横恋慕という極楽的状況だからである。この二項対立的な結構は虚構だが、現実だと思わせる虚構である。

最近終わった「新世紀エヴァンゲリオン」という作品、25年もかけて終わった。メタフォクションの手法をあいかわらず使って、以前のような観客を現実に目覚めさせる方向ではなく、現実と虚構が混ざった現実を肯定するような、けっこう幸福なおわり方をした。――基本的には、オタクさんたちの快楽志向が強すぎて、両端の地獄的状況を繰り返し描かなくてはならなくなった作品であった。そこには、サブカルチャーに携わってきた人々の地獄的現実があって、だいたい、この前のアニメーションの作り手に対する大量殺人すらあったわけで――もう救済が必要な地点が来ていたのである。しかし、彼らは、オウム真理教とかなんとか主義みたいに、快楽的志向とは別に何かを行おうとして罪を得た状況を救済するのではなく、快楽志向自体を救済して快を得なければならない。現実に帰れというのは単なる説教になってしまい、更なる快楽への復帰を促すだけであるから、25年も時間を費やして、視聴者の人生というものを犠牲にすることで、救済したのである。

これも数日前に終わった「俺の家の話」というドラマは、能の家元のお話で、能の「隅田川」を現実が模倣してしまう話であった。しかし、これも芸やプロレスの永続性みたいなものが、個人の人生とともに肯定されているので、人が死んでいる話なのに悲しく終わらない。

「エヴァンゲリオン」も、生き別れた人に会うにはどうするかみたいな、まるで能みたいな話であって、今回映画の中で、クライマックスで髪の毛が長くなった☆波という少女がでてきたが、ほとんど能で出てくる鬘が豊かな子役みたいなかんじである。

気がついたら、――もう一〇年来の私の主張であるが、我が社会は、もう古典的な虚構を必要とするものに戻っているのである。