Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

年賀状について

2020年12月14日 20時57分36秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 このところパソコンのクラッシュとそれに対する緊急対応に手がいっぱい。頭が他の方面には回らない。ということで、読書もままならない。読書をしてもあまり頭の中に入ってこない。
 本日退職者会の幹事会で一応今年の活動は終了した。日々の対応でパソコンの作業に追われることはないが、30年の記念誌の編集作業は年末・年始と宿題のようなものである。パソコンの不具合とクラッシュで私のスケジュールからは1か月ほど遅れている。私の記載しなくてはいけない部分もまだ白紙である。これを何とか埋めて新年を迎えたいと思っている。
 この作業と並行して年賀状の作成も宿題である。まだ何も構想していない。友人からの欠礼はがきを見ている。それぞれの抱えた家族関係などを、自分のこれまでの生き方と比較しながら想像している。

 欠礼はがきや年賀状などの習慣に疑問を呈する人もいる。私もそれらの習慣を全面的に肯定する立場ではない。かといって全否定もしない。要は、そこに現れた個人の思いや生活を、どのようにくみ取ったり、解釈したり、人間関係の深化に役に立てるか、という視点を抜きにしては意味のない議論になると思っているだけだ。
 それらが果たせるならば、それぞれの個人の方策に従って、友人たちとの関係の深化や持続を図ればいいだけのことである。
 先日も記したように12月に一年の報告と来年の抱負を記した友人のはがきによる意思表示も好きである。別の友人からは、親族の死があったので「私からは賀状は出さなかったが、皆さんからくる賀状はうれしかった」と1月の末に普通はがきを送ってくれた友人も数年前にいた。他に、年度替わりのころに、「正月は楽しく過ごした。ひと段落したので近況報告します」という友人がいたが、いつの間にか連絡がなくなっている。彼はどうしているのだろうか。

 人それぞれに友人関係の深化と持続と清算の仕方があっていいと思う。私は、年賀状という形式を持続している。それがいつの間にか私流の近況報告と友人関係の再確認の手段となっている。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。