甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)という日本画家の名は、ツィッターの広告で私は初めて聞いた。広告にも出ているチラシに引用された作品はあまり惹かれなかった。NHKの日曜美術館でもその印象は変らなかった。
何しろ歌舞伎や戦後の旗本退屈男などの時代劇にもまるで興味がなかった(今でも)私にはとても遠い存在に思える。
しかし歌舞伎の「女形」になりきって何かを探り、作品に仕上げるという執念ということについては、惹かれる。多くの作品が展示され、時代劇の主人公が装う衣装のデザインに凝ったこだわりも感じたが、残念ながら私には共鳴するモノがなかった。
作品の中で私の目をひいたのは、1931(昭和六)年頃という《椅子に凭れる女》である。当時のモダンな洋風の服装で女性を描いている。不安定で不自然な、多分あり得ないような姿勢で描いているが、黒を基調とする斜めの構図も女性の身体の無理な屈曲も表情も色合いも、そして筆致も新しい何かを求めていると感じた。
柳条湖事件を契機として満州事変という名の戦争へ大きく政治も傾いた時期の作品である。いつもながら戦争への道、国内の経済・思想・文化統制と現実のギャップに私は驚く。私の想像力が足りないのかもしれないが、このようなモダンで、なまめかしい作品が描かれ、受け入れられていたこととのギャップが恐ろしいと思う。この翌年には5・15事件、5年後には2・26事件、7年後には国家総動員法が樹立される。
この時期の画家の社会との関りについては手がかりとなるような作品が私の目には入らなかったので、よくわからない。画業の方向性で何か行き詰ることでもあったのか、総動員体制の成立直後からは映画界への転身となるわけであるが、そのあたりのことは残念ながら図録を購入するゆとりもなく、私の想像力は及ばない。
ただ画家が最後まで手もとに置いていたという作品「畜生塚」と「虹のかけ橋」のうち前者は「椅子に凭れる女」の延長線上にあるような女性像が密集しており、とても気になった。
題材は豊臣秀吉が養子秀次を自害させ、幼児、妻妾約30人を処刑して三条河原に埋めた残虐な事件である。描かれているのは女性だけで、それらの像は、従来の日本画に描かれ、また作者が描いてきた女性像とは違い表情も仕草もとても洋風である。初期に作者が影響をうけたというルネサンス期の西洋画の女性群像と見紛う。
もう少し大胆な仮説も立ててみたいが、もっと勉強しないと独りよがりとなりそうなので断念。
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