Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書8月号」から 2

2022年08月06日 20時24分12秒 | 読書

 3日ぶりに本を手に取った。読んだのは「図書8月号」。

・生態学者の「さとやまガーデン」づくり  鷲谷いづみ

・世界市民のための音楽          大岡 淳
「専門家気取りの演劇人や音楽家は往々にして自分流のブレヒト、自分流のヴァイルを粗製乱造して、失敗しています。なぜ彼らは失敗するのか。たとえ職業的なアーティストであったとしても、ブレヒトやヴァイルに取り組む以上は、なんらの専門性も歩凝らす、あらゆる特権を放棄した、丸裸の匿名的存在して、舞台に立つ構えが必要であることを理解していなからでしょう。アーティストから観客へ、ではなく、市民から市民へ語りかける手段として、ブレヒトやヴァイルの作品を位置づけることができれば、そのときはじめて、ブレヒトやヴァイルのルーツたる古代ギリシアの演劇が本来、市民が市民の面前で、語り歌い舞う祭祀だったことを想起してもよいでしょう。」
 戯曲というものに接する機会はシェークスピア以外はほとんどなかったものの、ブレヒトという名は聞いている。このままこの世界と縁のないままでいるというのも寂しいと思い、ブレヒトの戯曲は目にしてみたいと思っている。また演劇も見に行ったことはない。一度体験してみたいと思っている。

・レオン・ブルムの弁護士とその娘     今枝由郎

・この歌手は誰だ、と僕は叫んだ      片岡義男

・座標                  谷川俊太郎
「空間的な座標ばかり気にして、時間的な座標、つまり歴史の中の自分に考えがいかなかったのが現在の私にとっては、自分の感性の原点を見るようで面白い。」
 実は私はこれとは逆である。ここの言葉を借りるならば、理系を志した私は本来は空間的な座標に生きるはずであったのに、いつの間にか時間的な座標、歴史の中の自分の位置の模索ばかり気にして17歳から71歳まで生きて来たようだ。この選択に悔いはまったくないけれども、多分60歳以降、二つの座標軸を同時に生きてきた気もする。

・さびしいおおかみ            文月悠光
「家族の物語は、必ずその時代の社会構造と抑圧の影響を受ける。今の日本における家族の在り方は、これらの作品に比べて、どうなるのだろうか? 旧来の家父長制への批判が強まる一方、日本では夫婦同姓が未だに維持され、女性側が改姓することが一般的。家庭のなかで父親の存在感は薄い。‥当たり前とされている構造を疑い、声を上げて、崩していきたい。子どもが読む本、とあなどるなかれ。私はそこから、当たり前を疑う心を養ってのだ。」

・土をつくる               岡村幸宣
「他者の悲しみの記憶を聞いたとき、そのイメージが重なることで、目の前の風景がまったくちがって見えることがある。瞳に映る世界と、まだふの裏側に浮かぶ世界の、どちらが現実で、どちらが幻影なのか、わからなくなるような体験。」
「この絵は、福島の土地に悶え加勢するつもりで描いているんです。悶え加勢する、というのは石牟礼道子さんの言葉ですけど、この絵を描いているとよく思い出すんです。石牟礼さんから学んだ姿勢として、悶え加勢するつもりで、新鮮な土をつくって描いているんです。(加茂昴)」

 本日は以上の7編を読み終わった。



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