メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

地球ドラマチック 徹底解剖! マヤ遺跡

2019-12-27 13:18:19 | テレビ・動画配信
マヤ文明の古代都市 チチェン・イツァ@メキシコ
チチェン・イツァはユカタン半島に広がる
密林の中心部に位置しています




密林の奥に潜む世界で最も偉大な古代都市
そこには失われた文明の秘密が隠されています

なぜ人々はこの地を選んだのでしょうか
巨大都市はどのように築かれたのか

謎を解く唯一の方法は遺跡を徹底的に解剖することです

考古学者 ギジェルモ・デ・アンダ:
古代の建造物を一つ一つの石に至るまで調査すれば
謎に満ちたマヤ文明の驚くべき真実が明らかになるでしょう
私たちの研究はまだほんの入り口です


エル・カスティーヨ
大きな建造物は30以上

中でも目を引くのが巨大ピラミッド エル・カスティーヨです
新たな世界の七不思議にも数えられる壮麗な建造物です




何万個もの石灰岩で作られ
重量は6万トン
高さは30m 10階建てのビルに匹敵します

頂上には羽毛の生えた蛇の神ククルカンに捧げられた神殿があります

4面それぞれにマヤの暦に沿った階段が作られ
一番下には春分と秋分を表す蛇の彫刻が施されています




考古学者:
マヤ文明の高度な建築技術を証明する傑作です
権力、宗教、科学 全ての力を表しています

マヤの人々はなぜ密林に都市を築いたのでしょうか
建造に使われた大量の石灰岩をどのように調達したのでしょうか


石灰岩
カスティーヨのピラミッドから500mほど離れた場所で手がかりが見つかりました

考古学者:
マヤの人々は建造に必要な材料を遠くまで探しに行く必要はありませんでした
石灰岩はそこら中にあるからです

表面を覆っている土壌は極めて薄く
石灰岩の岩盤にわずかに土が乗っているだけです
ユカタン半島全体が巨大な石灰岩の岩盤でできています

石灰岩こそ巨大建造物を実現させた材料でした


石切場
カスティーヨから近いこの辺りは石切場として使われていました
痕跡が残っています




考古学者:
ここにある形が見えます
大きな石灰岩の塊が切り出されて
この場で作業したのです

こちら(画像左)は完全に丸い形になっています
別の面は蛇の口の形が途中まで彫ってあります

しかし最後まで彫られていません
おそらく岩が割れてしまったからでしょう

1000年前の職人が働いた作業場の後です
マヤの職人がここで仕事をした証です
そして作業を終えた後に運んだのでしょう


しかしマヤには金属製の道具がありませんでした


石器
驚くべきことに金属ではなく石器だけを使ってあの見事な都市を築いたのです
古代の人々はたくみな方法を編み出しました

まず硬い岩石の欠片を用いてカミソリのような石器を作り木の棒にくくりつけます
次に石器を使って地面に溝を掘り、碁盤の目のように石灰岩を削っていきます






掘り進めていくと、やがて石灰岩に亀裂が入り岩が地面から分離します
こうして出来た石灰岩のブロックを木のてこを使って取り出したのです




石工所で古代の方法を再現します
当時と同じように木材のてこを使って重さ2トンの石灰を運び出します

考古学者:
下に石を入れて調節するのですが
大きなてこを動かすには十分な広さと熟練の職人が必要です

大勢で取り組んでもかなりの重労働でした
当時はどれだけ大変だったことかやってみるとよくわかります




カスティーヨは何万もの石灰岩のブロックでできています
古代の人々はどのようにしてブロックを積み上げたのでしょうか

謎を解く鍵はピラミッドの内部に隠されています


CGで分析
表面の石灰岩の内側は盛土になっています
その盛土の塔の内部にもう一つピラミッドがあるのです




大きさはカスティーヨのおよそ半分
最上部には神殿があります

神殿の中心にはジャガーをかたどった玉座があり
ヒスイでできた目と硬い岩石の歯が付いています




入り口には謎めいた彫像も置かれていました




古い神殿の外側に石を重ねて、より大きな神殿を築いていたのです
古代マヤでは古い建物を壊さず
その外側に新たな建造物を築いたのです より壮大に


なぜ密林の奥に都市が築かれたのでしょうか


シウンチェン




地球物理学者 レネ・チャベスは、マヤの古代都市の秘密は地下にあると考え
シウンチェンにあるピラミッドを調査しています
密林に隠れていたピラミッドです

地球物理学者:
カスティーヨとは見た目がかなり異なりますが
修復される前のピラミッドの多くはこのような姿をしています




ピラミッドの上のほうに電極を取り付けました
かなり思い切った試みです

ピラミッドの周囲に電極を張り巡らせ電気を流します
ピラミッドの下の地形や内部に構造物があるかどうかを
電流の波形から明らかにしようというのです

地球物理学者:
この調査で地下水も発見できます
石灰岩でできた地層についても調べることが可能です

データを分析して地下の形状を明らかにします
坑道やトンネルが見つかるかもしれません


彼は同様の調査をカスティーヨでも行い、目覚ましい成果をあげました

地球物理学者:
カスティーヨで行った調査のデータを分析して驚きました
地下の地質構造は複雑でした




緑色の部分は石灰岩
青いところは電流の抵抗が非常に小さいことを表しています

つまり、この場所では電気が何の問題もなく流れているということです
それを可能にする物質はただ一つ です

カスティーヨを支える厚さ5mの石灰岩の地層
その下には水で満たされた巨大な洞窟があったのです


セノーテ
深さは20m  水をたたえた洞窟はセノーテと呼ばれ
ユカタン半島各地に存在します
驚くべきことにカスティーヨはセノーテの真上に築かれたピラミッドでした

地球物理学者:
特別な構造にはカスティーヨの持つ象徴的な意味が込められているのかもしれません

重要な点はセノーテの上にピラミッドがあることです
水の洞窟の真上に建物が乗っているんです

セノーテを調べるには地面を掘るしかありません
しかし周辺にある別のセノーテなら地上からも調査できます




考古学者:
ここはユカタン半島に多くあるセノーテの一つです
まさに自然が作った脅威ですね

巨大な地下の洞窟が長い間に溜まった
大量の雨水で満たされているんです
何千年という月日をかけて

このセノーテとカスティーヨの地下のセノーテには大きな違いがあります
こちらは天井部分が崩れていて、洞窟というより湖ですが
元々こうだったわけではありません

かつてこのセノーテの天井は岩盤で覆われていました
しかし突然岩盤が崩落し、今のような状態になりました
巨大な陥没穴です

崩落の原因は水です
何千年にもわたり雨水が流れ、水が岩を侵食していったんです

岩に小さな裂け目ができ、少しずつ大きくなり
限界に達した時、大きな崩落が起きたというわけです

カスティーユの地下にあるセノーテには今もなお天井の岩盤が残っています
いつかカスティーヨの天井も崩れるでしょう

セノーテこそ密林に大都市が築かれたわけでした
周囲に川がなく、必要な水を全てセノーテから得られたからです

しかもセノーテは単なる水源ではありません
セノーテは「崇拝の場」でもありました

こうした美しい場所を訪れると、人々はある種の不思議な力を感じます
宗教的な意味が備わり、地下の世界への入り口ともみなされました

マヤの人々が地下にセノーテがある場所を選んで
意図的にカスティーヨの神殿を築いたと考えられます

なぜならカスティーヨの周辺にある
4つのセノーテの間に明らかなつながりがあるからです


4つのセノーテ




考古学者:
ここ(中心)にカスティーヨがあるとしましょう
重要な点はこの位置が周辺にある4つのセノーテの
ちょうど真ん中にあることです

下にあるのは聖なるセノーテ

古代マヤの人々は世界を4つの方位に即して4分割して捉えていました
東西と南北を線で結ぶと真ん中に位置するのがカスティーヨ
その上に築かれたピラミッドは、まさにマヤの世界の中心の象徴でした

カスティーヨの地下のセノーテは聖なる配置の真ん中です
これは大きな意味を持ちます


100体以上の人骨
カスティーヨの持つ宗教的な意味は他にもあります
ピラミッドの地下で驚くべき発見がありました






発掘調査を行った考古学者たちが地下2mよりも深い場所で人間の骨を見つけました
頭蓋骨の破片や歯が見つかっています
調査の結果100体以上あることがわかりました

いったいどのような人々が
なぜこのような場所に埋められたのでしょうか


骨の分析
生物考古学者 ベラ・ティーズラーは
骨が誰のものなのか、なぜ地下に埋められたのか
次々に解き明かしてきました

生物考古学者:
人骨がカスティーヨの特定の場所で見つかりました
ほとんどの骨に何らかの栄養失調のあとが見られます

原因としては、不十分な栄養
さらに様々な伝染病などが関係していると考えられます

頭蓋骨には明らかに穴が開いています
これはたいてい幼児期の貧血によってできるものです

歯をよく見ると、表面を交差するように
はっきりとした溝ができているのがわかります
これはこの人物が生理的に強いストレスを抱えていたことが分かります


生贄の儀式
さらに一部の骨では、骨の周りの肉が意図的に取り除かれていることがわかりました
はっきりと切り傷が分かります




このような人骨から分かるのは
皮膚を剥いだり、肉を削ぎ落としたりといった
遺体を処理する様々な行為が行われていたということです
おそらく動物や人間を生贄にした儀式が行われていたのでしょう

骨につけられた傷は、チチェン・イツァの支配者である祭司が
儀式で行った行為の後と考えられます


頭蓋骨を変形させる慣習
なぜ人骨は古代の人々のものだと断定できるのでしょうか
カスティーヨの周囲にある4つのセノーテの一つで有力な手がかりが見つかりました




生物考古学者:
これはカスティーヨの北側の聖なるセノーテで発見されました
子どもの頭蓋骨です

現代の頭蓋骨でないことを示す決定的な証拠があります 骨の形です
頭蓋骨の形に大きな特徴があります

板を使って人為的に骨を変形させているんです
額の部分が平らになっていることがわかります

マヤ文明では頭蓋骨を変形させることが慣習になっていました
こうした子どもの頭蓋骨が100個以上、聖なるセノーテから発見されています

大量の頭蓋骨が埋められた理由はただ一つ
マヤの神々への捧げものです




子どもたちを生け贄にした儀式は
他のセノーテでも行われていたのでしょうか
考古学者たちが調査に乗り出します


3D画像解析
謎を解き明かすため、セノーテで発見された遺物を撮影し
コンピューターで3D画像を作成します




考古学者:
ここはカスティーヨの西側の「ホルトゥン・セノーテ」です
これは古代に作られた入り口です
奥には巨大な洞窟が広がっています
ロープを使って地下におります

セノーテを探索する唯一の方法はダイビングです
24m下の水面を目指して垂直に下降します




巨大な洞窟は地下70mまであり
水が50m近く溜まっています
何千年もの間に雨水が石灰岩を削り、巨大なセノーテができました

考古学者:
9mほど潜ると、この場所に存在した豊かな文化の跡を見ることができます

あまり近づきすぎないように気をつけています
遺物は壊れやすいですから

洞窟の中からは多くのものが見つかりました
土器(!)や石器 動物の骨 そして人骨です
様々な角度から写真を撮ります






この岩は物を置く台として使われたのでしょう
自然の造形をうまく利用しています

岩の上には骨、お供え物、木炭のかけらが残っています
儀式の祭壇として使われていたようです

セノーテは古代のマヤにおいて非常に重要な空間でした
今は静かな歴史の証人です

調査は5年前から行われています
これまでに撮影した写真を3D化します




考古学者:
この3D画像は祭壇を上から撮ったものです
実に驚くべき技術です
こうしたことを行っている考古学プロジェクトはほとんどありません

これなら劣化することはありません
実物に最も近く、しかも傷つけることなく永久に保存できます

3D画像によって祭壇の詳細が明らかになり
儀式と関係の深い魚、エイの骨も見つかりました
儀式の際、エイの尾骨で体を傷つけて血を流したのです


雨乞いの儀礼
とりわけ男性の性器から捧げられる血が多いほど豊作になると考えられました
(とんでもない時代だな↓↓↓

しかし、どうやって水中の岩に供え物を置いたのでしょう


干ばつによる水位の変化
原因は古代都市の繁栄を脅かした自然現象 干ばつでした

考古学者:
当時の人々は水に潜る必要はなかったと考えています
なぜなら地下の水位は現在よりもずっと低かったからです

今から1200年前 祭壇に使われた岩は水面よりも上にあったと思います
当時このあたり一帯は乾燥していました
深刻な干ばつが続いていたからです
祭壇の岩も水上に露出していたでしょう

祭壇に使われた岩は地下30m
洞窟の端に位置しています

干ばつで水位が下がると水面から露出しました
人々が地下へ降りる際にははしごが使われました
木の幹と枝を組み合わせて作ったはしごです
はしごを降りると、カヌーに乗って祭壇まで向かい、儀式の供え物を捧げました




年月を経て再び水位が上がると、供え物は水中に沈んだまま
現在まで残ることになりました


祈りを捧げたのは「雨の神チャーク」

考古学者:
セノーテは水の供給源でした
そして干ばつの際に祈りを捧げる聖なる地でもあったのです
人々は雨を降らせてくださいと願い、供え物をしたのです
カスティーユの建造場所もセノーテとの位置関係で決まりました

(子どもの生け贄をするほど干ばつが今より想像以上に深刻だったってことか


古代の暦

考古学者:
カスティーユの構造は完璧な線を描いています
さらに分析すると数学や天文学と深いつながりを持つとわかります
農業のサイクルにも関連があります
それは古代の暦でした

全部で18段ある基壇は、マヤの1年である18ヶ月を表します
4面にはそれぞれ91段の階段が作られ
頂上の神殿の階段を合わせると365段になります

春分と秋分の日には表面の階段にできる影が蛇の姿を作り出します
蛇の神ククルカンです
(インディ・ジョーンズの謎みたい




天文台 エル・カラコル






古代の人々が高度な技術をどのように身につけたのか不思議です

カスティーユは外観が立派なだけでなく
季節の変化や太陽の動きに合わせて造られています

古代マヤの人々は天体の動きも正確に把握していました
天文台も造られました

天文台の名前は、建物内部の螺旋状階段に由来しています
スペイン語でカタツムリを意味するエル・カラコル

夜空を観測して星の位置を把握するために造られました
マヤの支配層の人々は天文学の知識が豊富だったんです

天体の動きについて非常によく理解していました
まだ望遠鏡もない時代に信じられないほど精密な観測が肉眼で行われました

天文台は何層もの段の上に建てられています
周りの木々に邪魔されないように工夫したのでしょう

周囲を全て見渡すために、当時としては十分な高さが取られています
日の出や日の入りも観測できるようにです


観測用の3つの窓
崩壊が進んでいますが観測用の窓もわずかに残っています
残っている3つの窓の配置は興味深いです




天文台の正面の階段は、古代マヤにおいて重要な星である金星が沈む方角を見ています




最上部の3つの窓のうち2つは、金星が見える最北と最南の方角に向けられ
もう一つは真南を見ています




一番下の段の北東の隅は夏至の日の出
南西の隅は冬至の日の出の方角を指しました




20以上もの天文現象に対応したカラコル
人々は天体観測によって作物の収穫はもちろん
戦争を始める時期さえ予測しました

チチェン・イツァは古代アメリカ有数の政治と宗教の中心地でした
数多くの巡礼者が遠く離れた土地からチチェン・イツァを目指しました

人々は密林やぬかるみの中をどのように進んだのでしょうか


「サクべ」 古代に作られた道路




一見、普通の道路と同じように見えますが
地面の下には高度な技術が隠されています
幅が広く、地面より一段高くなっています(ブラタモリか!?




雨でぬかるむのを防ぐため、地面がかさ上げされ
古代の土木技術を結集した土手道が作られました

土台部分には大きな石が当時のモルタルで固められています
頑丈な土台の上に小石を積んで平らにし
側面は石の壁で塞がれました

道路の表面は粉上の石灰岩から作られた漆喰で塗装されました
丈夫で歩きやすいサクべが人々の往来を支えたのです

(アスファルトよりもいいな


サクべの役割
その一つは間違いなく交通手段です
へその緒のように町と町の間をつないでいます

さらに象徴的な意味もありました
政治的な境界線としても機能していたのです

これまでに発見されたサクべの遺跡を
全て合わせると壮大なスケールになります

サクべはチチェン・イツァの中を縦横に走り
神殿部周辺の石切場や集落を結んでいました

カスティーヨから300m北の聖なるセノーテへ伸びるサクべ
集落に通じるサクべもありました






90以上発見されたサクべから
古代都市に張り巡らされた複雑なネットワークが浮かび上がりました

すべてのサクべは最盛期に人口3万人以上を誇った
チチェン・イツァの中心部に繋がっていました

サクべの存在はチチェン・イツァの繁栄にとって非常に重要でした
しかしサクべだけでは都市の繁栄を支えきれません

周辺には川がなく、物資を運ぶ馬や車輪のついた荷台もまだ使われていませんでした
人々はどうやって長い距離を移動し、ものを運んだのでしょうか



(これらの知識は、今、砂漠化している地域にも使えるのでは?


ビスタ・アレグレ@メキシコ
考古学者 ジェフリー・グラバーは新たな調査を行っています




ジェフリー:
海はいわば高速道路です
何百何千というカヌーが海辺を行き来していたでしょう
ここではるか昔に放棄された居住地の跡が見つかりました

グラバーはかつてビスタが港でチチェン・イツァと関係があったと考えています
二つの場所をつなぐ手がかりとなる建造物の遺構を発見しました






ジェフリー:
石器を作る時の黒曜石や、土器の破片(!)が見つかっています
とりわけ重要な証拠となったのは、特徴的なデザインの土器でした

(絶対縄文と繋がってるよ!



この土器はスレートと呼ばれます
3色のデザインが特徴で、古くからユカタン半島全域で使われました
他の住居跡でもよく見つかり、実用的な土器として流通していました

何の変哲もない土器のかけらに見えますが
この地域とチチェン・イツァの間に
繋がりがあったことをはっきりと表しています

一体どんなつながりがあったのでしょうか
ビスタの内陸で発見された古代の遺跡がヒントになります


石造りの長い壁




ジェフリー:
この壁は明らかに防御用です
つまり人々を入らせないための壁ということです

ビスタはいわば統治領で交易を支配するための港が置かれました
海賊の侵入を防いだと考えられます

防壁の一部は既に失われています
西の防壁が崩れると、代わりに木を使って柵を作りました

内陸部に人が住んでいた証拠はほとんどありません
ですからビスタはやはりチチェン・イツァの
統治領としての意味合いが強いと言えるでしょう

たとえ周りに敵がいなくても防壁を作り
領地を守っていたということです


古代都市チチェン・イツァの交易を支えるビスタ
物資の運搬に使われたのはカヌーでした
マヤのカヌーは長さが最大98m
重さ2トンの荷物を運ぶことができました




海辺にはおよそ40kmごとに港が作られました
カヌーがちょうど1日で進める距離です




対岸に連なる港のネットワークは
チチェン・イツァの交易拠点である島までつながっていました

最大400ものカヌーが島で交易を行い
ユカタン半島全域にチチェン・イツァの影響力が広まりました


交易が発展の鍵
チチェン・イツァは巡礼の地として宗教的には既に強い力を持っていました
しかし全体的な繁栄を遂げるには、やはり経済面での力が重要でした

交易によってチチェン・イツァは大きく繁栄しました
塩、織物などを売り、石器を作るための黒曜石を手に入れて発展を遂げたのです


11世紀の終わりに衰退したチチェン・イツァ
深刻な干ばつは、5年~10年、もしかしたら50年続いた可能性もあります
ほとんど雨が降りませんでした
農業ができず食料が手に入りませんでした

セノーテで干ばつの痕跡を発見しました
水位が明らかに下がっていたのです

セノーテから供給される水が都市の繁栄を支えていました
干ばつによって水が減り、作物がとれなくなり
チチェン・イツァの栄光は終わりを遂げました

(水ってそれほど大切なんだな
 これからは石油などより、水をめぐって国と国が争う時代が来るなんて噂も聞いたし


神の子孫
マヤの支配者たちや身分の高い者たちは、自らを「神の子孫」と呼んでいました
「自分達の起源は神である」としていたのです

(先日書いた「古事記」にリンク

神の子孫たちが水を作り出せないとわかった時
人々は反発し、大きな怒りを向けました

他の土地へ去る人や反逆を試みた者もいるでしょう
戦いや反乱が頻繁に起こったに違いありません

(今も水の少ない地域のほうが内紛で長く苦しんでいるものね

チチェン・イツァは次第に放棄され密林に飲み込まれていきました


失われた古代都市
しかし新たな調査によってその秘密は徐々に解き明かされています

高度な専門知識に基づいて作られた天文台
土木の技術の粋を集めた道路
二重に重ねられたピラミッド
水の洞窟
そして神殿の下に埋められた人骨

これからも続く発見がいつの日か
古代遺跡チチェン・イツァの全貌を明らかにすることでしょう

「シークレット・オブ・ザ・マヤピラミッド」(イギリス 2016年)より





今でもかなりの観光客や巡礼者が世界中から来ている遺跡なんだな

マヤ文明に関する番組だと思って観ていたら
マヤ遺跡の一つを検証した番組なのか

マヤ文明って、とても叡智の高い文明だと言われるけれども
支配者がいて、海賊から利益を守ったり、生贄を捧げたりって
あまり次元の高い文明とは言えないのでは?


次回の番宣も面白そうだった
動物そっくりに作ったロボットを紛れ込ませて
生態を探る実験だけど、思い切りバレてるw




サル、ワニ!、ペンギン、トラ?、いろんな動物で試していて
結果、どうなったのか???



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