花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

初冬の道北に行った(1日目)

2008年11月10日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

8日朝、起きてみたら、気温は1度、昨夜からの風雪で庭は真っ白になっていた。
この日、妹と1泊2日の道北行きバスツアーを申し込んであったので、ダウンのオーバーコートを着、兎の襟巻きを首に巻き、手袋をして出かけた。道路の雪は溶けていたが、凍結することを考えて滑らない冬靴を履いた。

参加者が48名もいて、バス1台ぎっしりだったが、私達は申し込みが早かったらしく前列の座席が用意されていた。
バスは7時50分、札幌を出発し、強い風と時折降る雪の中を日本海沿いに北に向かって走った。途中、5~6mもあるような波が幾つも防波堤を超えて来たし、道路には白く大きな泡粒も沢山飛んで来て、バスのタイヤが滑らないかと恐ろしかった。

午後3時過ぎに、やっと稚内の南三十数キロに位置する日本最北端の温泉として有名な「豊富温泉」に着いた。そこが宿泊場所だ。
到着すると町の観光協会が主催する歓迎のセレモニーがあった。
会長さんの話では、この温泉は大正末期に石油の試掘をしていた際に天然ガスと共に噴出したのが始まりとの事。泉質はナトリウム塩化物泉で、湯は黄色く濁っていて、石油臭がある。近年、アトピーや乾癬などの皮膚病に効くと言われるようになり、湯治客も多いそうだ。

その後、サロベツ原野の四季折々の自然を写したビデオ映像に合わせて、オカリナ、ケーナの演奏があった。演奏するのはタレントの大泉さんのおじだと司会が紹介した。その独特でどこか物寂しく、また懐かしく素朴な音色に、旅の疲れが癒された。(写真①演奏風景)

演奏が終わると、外れがないビンゴゲームがあった。景品は豊富町の特産物で、1位が大きい箱に入った豊富産のお土産セット、2位がハムセット、3位が山菜セット、4位が鹿肉の缶詰1個、5位がハマナスのジャム1個、6位がスイートコーン1本だ。それぞれ数個ずつ用意されていた。
比較的早くビンゴになった私には、山菜セットが当たった。渡された小型のダンボールが凄く重い。
宿で開けて見たら、茹で蕗のパック詰め5袋、茹で竹の子2袋、スイートコーン2本が入っていた。水が多い為に重いのだ。
鹿肉の缶詰1缶しか当たらなかった妹にも分けたら喜ばれた。(写真②山菜セットに入っていた山菜)

夕食のメインは蛸のしゃぶしゃぶ料理だった。ゴマダレと酢醤油が付いていたが、ゴマダレで食べたら美味しかった。その他の魚介類も新鮮で美味しかった。(写真③夕食のお膳)

食後、温泉に入った。ドアを開けて浴室に入ると、まず石油の匂いがした。黄色く濁った湯のあちこちに油膜が浮いている。本当に珍しい温泉だ。しかし、肌がつるつるになり体が良く温まった。
妹と一しきり話したり、TVを見てから寝た。時折、強風と共にバラバラとひょうが降っていた。

 ① ② ③






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バスツアーで旭岳の紅葉狩

2008年09月21日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

昨日の朝は秋らしく全道的に冷え込み、私の町は8度だった。
私は5時に起きて、いつもの農園仲間2人と札幌発のバスツアーで、北海道の屋根、旭岳の紅葉狩に出かけた。

私は、今秋初めての厚着をして、その上にジャンバーも着込み、6時半に家を出た。
駅の集合場所に行くと人が一杯で、既に仲間達も来ていた。聞くと今回のコースの参加者は多く、バス2台で行くという。私達は申し込んだ日が早かったので、前の方の席だった。
バスは予定通り7時半に出発し、途中、トイレ休憩をとりながら旭川市を抜けて走り、11時にロープウエイ旭岳駅に着いた。
今の旭岳ロープウエイは、1台に100人が乗れる新型だ。ぎゅうぎゅう詰めの状態で10分後、標高1600mの姿見駅に着いた。

ロープウエイ駅を出ると、予想に反して日差しが強く気温は高かった。
結構きつい石の階段が続く1周1時間の散策コースを、途中の展望台に寄りながら登って行ったが、その内に汗をかいた。仲間の1人は、この日のために新しい靴を用意していた。

幾つかの展望台から見る高原の秋の景色は、這い松の緑の中にあるチングルマの真っ赤に色付いた葉と灰色の綿毛が、錦を織り成すように見えて、心が洗われるような美しさだった。
「満月沼」は丸くて澄んだ緑色だった。二つで「夫婦池」と呼ばれている左右の「鏡池」と「すり鉢池」で、私達は「大きい方の池は夫か妻か」と冗談を言い合った。
標高1670mにある「姿見の池」を目の前にした場所で、可愛い蝦夷シマリスを見た。体はネズミ位の大きさだったが、太い縞模様のある尾が特徴的だ。直ぐに姿が見えなくなった。
上方に見える黄色い噴気孔からは、勢い良く、真っ白い煙が数本、絶え間なく立ち昇っていて、活動する地球の姿を目の当たりにした感じだった。
一番大きく、場所も高い「姿見の池」では、設置してある「愛の鐘」がひっきりなしにカーンカーンと鳴り響いていた。私もロープを引いて2つ鳴らした。

さらにそこから1~2分登った第5展望台に行くと、北海道の最高峰2291mの旭岳への登山ルートと、列になって登る登山者の姿がはっきりと見て取れた。
見ている内に、私も層雲峡から黒岳に登り、10時間近く掛けて旭岳山頂迄縦走し、この登山道を下って来た一昨年8月の思い出が蘇えった。
帰りのロープウエイで友人達は、遥か下の木陰にいる蝦夷鹿の子供を見たらしい。

 (写真①展望台から見た1600mにあるロープウエイ姿見駅方面 ②第1展望台から旭岳を写す ③1670mの姿見展望台から見た旭岳。池の向こうに噴気孔が見える)

 ① ② ③

それからバスは、大雪山連峰を一目で見渡せる深山峠に向かった。晴れていたので全部の山が美しく見渡せた。私には、去年登った富良野岳がことさら懐かしかった。

さらにバスは富良野のワイン工場に立ち寄った。数種類のワインと葡萄果汁を試飲した後、私はキャンベルの果汁を2本求めた。
札幌に戻ったのは19時になっていたが、それから3人で軽食を食べ、1日の楽しかった思い出を語り合ってから別れた。
帰宅まで果汁のボトル2本が入ったリュックが凄く重かった。

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静内へ桜を見に行く

2008年05月07日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

 北海道日高地方にある日本の桜名所100選の一つ、雄大な「静内二十間道路桜並木」を一度見ておきたいと思い、3週間前に友人とバスツアーに申し込んであった。
 今日は晴天の中、朝9時にバス3台で札幌駅を出発し、高速道路を利用して3時間かけて桜並木に着いた。

 所が例年とは異なって、5月に入り急激に気温が上がったため、1万本の山桜は1週間早く開花してしまい、さらにこの間の季節風で大方散ってしまっていたのだ。凄く残念だった。
 この桜は全部、明治時代に植えられたもので、道路の両脇に二十間(38m)の幅で8kmに渡って植えられているものだが、3日前の満開時はすばらしかっただろうと想像した。
 100年近い巨木はみな老木になっていて、中には既に切り倒されたり、幹が黒ずんだり、病気になっているのではと思う様なのもあった。
 私達は桜並木を往復5~6km歩き、まだ花が咲いている桜の下で、切り株に腰掛けて、渡されたお花見弁当を食べた。

 帰路途中、「新冠(シムカップ)サラブレッド銀座」展望台で下車して、高台からサラブレッド馬が放牧されている日高の広大な牧場を眺めた。バスの窓からは、子馬が母馬のお乳を飲んでいる愛らしい姿も見られた。良く手入れされた美しい毛並みと引き締まった躯体の競走馬の姿は魅力的だった。
 北海道ではトラクターが普及するまで、農耕馬として「道産子(どさんこ)」と呼ばれるがっちりした体格の馬が、どこの農家にも飼われていた。その馬は現在、一部の街で重い橇を引いて障害物を乗り切る「ばん馬競走」に使われるのみだ。今では、すっかり、馬は生活とはかけ離れた存在になってしまった。

 桜は残念だったが、晴天に恵まれ、往復6時間のバスでは、友人とたっぷりとおしゃべりを楽しめて良い一日だった。

 

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札幌の桜を見て来た

2008年04月22日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

 今朝、早く目が醒め、風もなく好天になりそうだったので、6時に庭に出て、初めて庭木の消毒をして見た。
 マスクに眼鏡、帽子、手袋、ナイロンコート、長靴の完全武装をして、石灰硫黄合剤を希釈した。薬に『落葉樹木には10%』が良いと書いてあったが、何しろ初めてだし、時期的に遅い様に思ったので、もしも強すぎて木が駄目になったら大変だと思い3%にした。結構何とか手際よくやれたように思う。
 取り敢えず様子を見てから、来週、もう一度掛けることにした。 

 消毒作業が終わってホットしていたら、従姉妹から桜を見がてら遊びに来ないかという電話が来た。
 このところ20度以上の高温が数日間続いたため、札幌の桜は昨日、開花したと新聞に出ていた。例年よりも2週間も早い開花は、気象観測を初めて以来の記録なのだそうだ。
 渡りに船と喜び勇んで出掛けた。従姉妹の住む町の駅で降りて家まで10分程歩く間にも、熱くて汗をかいた。
 二人で家からほど近い大きな公園に行った。桜の古木が数十本植えられていて、その3割近くの木がすでに満開だった。親子連れや高齢者が沢山、花見に来ていた。
 1時間半かかって公園をゆっくり一回りした。
 桜の花はやっぱり特別な花だと思う。一夜でその場所を絢爛豪華な雰囲気にし、見る人に喜びと明るい希望を呼び覚ます様に思われるからだ。
 実際には、桜の木の下で従姉妹とした話は、夢のある話ではなく、世相を反映したかなり現実的な話だったけれど。二人とも高齢者だから仕方ないかも。



 

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雪の中の函館観光

2007年12月07日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
 5~6日の二日間、半年一緒に汗を流した農園仲間3人で「函館観光バスツアー」に行ってきた。
 全道的に朝から気温が低かったが札幌には雪は無かったので、道南函館はもう少し暖かく、勿論雪なんて降っていないだろうと予想した。
 しかし、中山峠に差し掛かるに連れて雪となり、峠は-8℃で、積雪も20cm位あった。
 更に函館に近づくに連れて吹雪き状態となり、函館の町は積雪も結構あって、もうすっかり冬景色だった。

 函館に着いて最初に行った五稜郭公園は降りしきる雪の中だったので、展望台に上がっても何も見えないと思いコーヒーを飲むだけにした。

 次は元町散策だ。バスを降りてから15cm位積もった新雪を漕いで公園を横切り、階段を上って上の道路まで行った。公園では子ども達が真新しい雪の上でそり滑りや雪合戦をして楽しんでいた。また、ロシアのハリストス正協会は夕闇の雪の中に静かに佇んでいた。(写真①)

 函館山に行くロープウエーに乗った頃はすっかり暗くなっていたが、相変わらず雪が降り続いていたので、夜景を見るという期待はできなかった。ロープウエーで僅か3分、標高334mの頂上に建つ立派な展望台に到着した。
 寒さに震えながら屋上で待つこと10分程、すると徐々に雪が小降りとなり、止んだ。そして奇跡的に綺麗な夜景が浮かび上がった。左が函館湾、右が津軽海峡だ。右下には数分おきに運転されるロープウエーも見えた。感激した。(写真②)

 ① ②

 次はベイサイドで行われている「函館クリスマスファンタジー」の会場に行った。巨大クリスマスツリーの午後6時の点灯式を見学するためだ。
 このもみの木は、先日北欧の国から輸送されて来たものだ。
 サンタクロースの衣装に身を包んだ点灯者は応募者の中から日替わりで決められるそうだが、その日は函館の学校に留学しているタイ人のシリモンさんだった。大勢の人達が見守る中でカウントダウンして点灯されたツリーは、雪が降る中で色取り取りに美しく輝き、同時に打ち上げ花火も上がった。本当のクリスマスまでまだ20日もあるのに、その中にいたら不思議とメリークリスマス気分になった。(写真③)
 宿泊先の湯ノ川のホテルに入り、すっかり冷え切った身体を食事と温泉で温めた。
 それから3人で赤ワインをいただきながら、遅くまで尽きない話を楽しんだ。

 翌朝の観光は、郊外のトラピスチヌ修道院から始まった。(写真④)
 ここはフランスから派遣された8人の修道女によって明治31年に設立された日本で初めての女子修道院だ。
 正門を入った所には天使ミカエルが悪魔を退治している聖像があったが、雪に覆われていてよく分からなかった。私は手を伸ばして届く限りの雪を取り除いてから写真を撮った。(写真⑤)
 傍の資料館には、修道女達が、毎日、祈りと労働を通して厳しい自給自足生活をしている様子が展示されていた。私は売店で修道女が作ったコーヒー飴を買った。
 丁度、私達と前後して台湾の観光客が沢山来ていたが、彼らは何よりも雪の銀世界が珍しくて嬉しいらしく、静寂な修道院の庭で雪玉をぶつけあったり追い掛け合ったりしてはしゃいでいた。(写真⑥)

 ③ ④

 ⑤ ⑥

 次にバスは函館朝市に向かった。つるつるの雪道で転ばぬよう注意しながらざっと歩いてみたが、どの店も観光客向けの品揃えと値付けになっていたので、私は結局何も買わなかった。

 函館を後にして途中、バスは大沼公園に立ち寄った。私達はそこで昼食を済ませてから札幌に向かった。
 所がバスが途中の山道に差し掛かった所で、大型トラックが路面凍結のため登られずに道を塞いでいた。運転手はバックして別な道を迂回して走った。
 一安心したのもつかの間、しばらく行くと又、トラックが立ち往生していた。運転手は安全のためチェーンをタイヤに巻いてから走り、危険箇所を越えた。
 そのままではスピードを出せないということで、数キロ走ると再びチェーンを外した。見ていたら大変な作業だが、何より安全第一なので、私達はバスの中から見守った。運転手が運転席に戻るたびに私達はご苦労様の気持ちを込めて拍手した。
 中山峠では数台の乗用車が追突事故を起こしたり、路外の雪の山に突っ込んで止まっていた。パトカーや道路パトロール車も走っていた。この道路事情では何が起こるか分からないので、私はシートベルトをしっかり締めて座っていた。
 安全運転のお陰でバスは無事に札幌に着いた。札幌では2~3cm雪が降ったらしく、街中が昨日とは違う色になっていた。

 今回のバスツアーは、思いがけない雪の中の函館の姿を再発見できたり、二日間、寝食を共にする事で農園仲間としての友情も一層深まった。また、冬の運転手さん達の緊張と苦労を知った旅でもあった。
 

 
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先程、無事に帰宅

2007年11月18日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
 14日~17日迄3泊4日で伯母を伴って参加した旅から、先程(23時半)無事に帰宅した。

 今回は4日間共晴天に恵まれ、雪を抱いて光り輝く富士山を駿河湾でフェリーの上からと、5合目までバスで登って心行くまで鑑賞できた。(写真①)
 また、北海道の紅葉は一気に色が変わる場合が多いが、愛知県の香嵐渓(写真②)、山梨県の河口湖畔(写真③)他で本州の徐々に色を染めていく美しい紅葉を堪能したり、伊豆の浄蓮の滝、三保の松原、箱根の関所跡や長野県の諏訪大社を見学したりと、本当に伯母と一緒の思いでの多い旅ができた。
 ① ②


 ③ ④


 また、木曽山脈に添って下った所での妻籠宿散策(写真④)では、観光客が溢れていたがタイムカプセルに入った様な感じを受けた。
 柿や蜜柑がたわわになっている様子や軒下の干し柿の風情などに、北海道では見ることができない伝統的な日本人の生活を感じる事ができた。
 さらに標高1500mの長野県茅野市車山高原温泉街から見た2530mの蓼科山の美しさ(写真⑤)、険しい木曽山脈の雄大さを間近に見たことも貴重な経験だった。

 ⑤

 しかし、腰の曲がっている伯母には思っていた以上に歩くことが難しく、私が常に腕を支えながら、ある時は伯母の身体を引きずるようにして歩いた。(伯母の体重が40kg以下だった事が、今回、私には幸いだった) 後半、腰が痛いし足が前に出ないと情けない顔をする事もあったが、時々休ませながら、それでも、ほとんどの見学場所をみんなの最後になりながらも、伯母はよく頑張って歩いてくれた。
 それに普段の老人ホームに比べてホテルの食事が伯母には美味しかったらしく、私が驚く位、常に私よりも多く食べていたので、4日間、体力が持ったのだと思う。
 行く前は大丈夫だろうかと不安もあったが、ツアー参加者の中で最高齢だったので注目もされ、他の参加者を勇気づけた面もあった。最後の日には「88才と高齢なのに、参加して頂いたから」と、ガイドさんからプレゼントを貰ったりもした。
 私が夜中に目が醒めた時は、隣のベットの伯母がちゃんと息をしているかどうかが気になった旅だったが、先ずは何事もなく無事に帰宅できてホットしている。

 帰りの飛行機の中で「予想外だった事があったかい。」と、伯母に聞くと、返事は「ホテルと食事が素晴らしかったこと」「ガイドさん他、みんなが優しく接してくれたこと」だったと言っていた。また、「色々な素晴らしい所を見られて、まるで夢のような毎日だった」とも話してくれた。
 明日、伯母を老人ホームに送り届けた時に、今回の私の責任は終わりとなる。

 また今回、名古屋に住むメル友と中部国際空港と香嵐渓から電話を掛けて話ができた。
 この友は、現在、乳癌が再発・転移しているのだが、実に客観的に自分を見つめ、自己実現のために病気と戦いながらも前向きに頑張って生きて行こうと努力をしている方なので、私はいつも励まされるのだ。メールとは違って声を聞いたら、何かもっと通じ合うものを感じる事ができて嬉しかった。彼女には、身体を大事にしながらこの先もずっと元気でいて欲しいと願った。

 こんな訳で、少し大変だったけれど、今回は意義深い楽しい旅ができて本当に良かったと思う。
 
 

 

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晩秋の最後の庭仕事後、伯母を連れて来る

2007年11月13日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
 今朝の気温は3℃で晴れなので凄く暖かく感じた。一昨日ホームセンターを覗いたら球根が全部3割引になっていたので、ピンク色のカサブランカ5球と薄いピンク色のチューリップを20球買って来たのを植えることにした。
 カサブランカは全部まとめて、チューリップは3~4球ずつかためて木の根本に植えた。
 チューリップは、来春、どのような咲き方をしてくれるか楽しみだし、カサブランカも初夏の庭に良い香りを漂わせてくれるだろうと期待した。これで冬を前にした最後の庭仕事が済んだ。

 今日は農家を止めた伯母を我が家に連れてくるため、迎えに出掛けた。二人で明日、「富士7景」を見に行くツアーに出掛けるためだ。
 老人ホームに入ってからすっかり意欲が無くなっていくように見えたので、目的を持たせたいと思って誘ったのだ。
 伯父が亡くなった後、しばらく鬱病の様な症状に陥っていたが、ようやく目の色にも力が出てきて、最近は旅行を前にして気温の低い中、毎朝散歩に前向きに取り組んで来ていたのだ。
 腰が曲がり、杖をついて歩くので、グループの人には迷惑を掛けるかも知れないと心配だが、今回が伯母の最後の旅行になるかも知れないので、私は精一杯ケアーしながら、一緒に西日本の紅葉や富士山の景観を楽しんできたいと思っている。
 
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日本の北限のブナ林を散策

2007年10月20日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

 今日は農園の友人二人と一緒に晩秋の紅葉を楽しむため、日帰りのバスツアーに参加し、我が国の北限のブナ林のある黒松内町に行った。
 一昨日からの天気予報では、北海道全域で今日は90%雨という事だった。しかし、バスが走り出すと、次第に小降りになり、虹も出た。そして3時間後に道南の黒松内町に近づくに連れて、不思議なことに止んだのだ。

 先ず、ブナセンター(写真①)に行き、国の天然記念物「黒松内町歌才(うたさい)ブナ林」の説明を聞いてから、ブナ林に向かった。
 入り口から入った所で、明るい白樺の林が出迎えてくれた。下草の笹藪が刈られて白っぽく枯れ、美しい独特の雰囲気を醸し出していた。(写真②)

 ① ②

 雨上がりの濡れた遊歩道には、落ち葉が沢山落ちていて柔らかくて歩きやすい。しばらく歩くと左側に朱太川の流水音が聞こえてきた。
 アップダウンしながら次第にブナ林の奥へと入って行った。粘土質の滑りやすい傾斜した山道には、木で土留めをした階段が作られていて、気分良く安全に登ることができた。
 途中でガイド氏が、太いブナの木に耳を当てて水の流れる音を聞く仕草をしたので、私も真似をして見たがよく分からなかった。
北限のブナは一枚の葉が大きく、その変わり数が少ない。また、本州のブナより成長するのが早く、寿命も150~170年と本州の平均寿命250年に比べて80年以上短いのだとか。ブナの生育は、一般的な植物のその常識と反対らしい。
 途中、急に空が開けたように思った場所のブナは、半分に折れ、幹の色も黒ずんで痛々しかったが、私はその木が圧倒的な存在感を示していた時があった事を感じた。(写真③)

 ③

 入り口から1.5km程入った標高160mの所まで登り(写真④)、引き返した。
 下りは滑りやすいので、落ちていた木の枝を拾って適当な長さに折り、杖代わりにした。他の参加者にも作って上げた。所々、下方のブナの黄葉が日に当たって輝き、美しかった。(写真⑤)

 ④ ⑤

 ブナセンターのパンフレットによると、この面積92.4ha、人の手が入った事のない1万本のブナ林は、1928年(昭和3年)に国の天然記念物に指定されたという。
 歴史では、太平洋戦争末期に木製戦闘機のプロペラ材として伐採されそうになったり、53年前には町の財政の逼迫から天然記念物の指定を解除しようという動きもあったらしい。しかし、学者や住民の熱心な保護運動により、現在まで原生林の姿がまもられていると書かれていた。

 1時間5分の散策だったが、雨上がりだったので呼吸が楽だったし、気温が低かったので、私は少し汗ばんだだけに終わった。
 普段、山歩きをしていない友人は、「途中でついていけないかも知れないと思ったが、頑張って最後まで行けたので、達成感、充実感を得られた。」と言って喜んでいた。

 散策後は「黒松内温泉ぶなの森」でゆっくり入浴した。肌がつるつるするアルカリ泉質の温泉は、汗を流し、身体が温まって気持ち良かった。着替えてから三人で休憩室でおやつを食べた。

 帰りは札幌まで2時間、バスの中で友人と楽しくお喋りしながら過ごした。
 今日のように畑仕事とは違った楽しみも魅力的なので、来月、また何処かに一緒に行きたいね、と言う話しも出た。

 家に着いたら7時半を過ぎていたが、今日も楽しい晩秋の一日だった。
 
 

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晩秋の洞爺湖温泉へ

2007年10月14日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

 先日、あるグループの研修旅行に参加した。行き先は道南の洞爺湖畔だ。
 幹事の話しでは、来年、サミット会場になるザ・ウインザーホテルにも行きたかったのだそうだが、通行料が取られることになったので取りやめたという。仕方がないので遠くからそのホテルを眺めて、写真を撮った。
 ホテルの人の話では、来年のサミット前後は、周辺地域に交通規制がしかれるので営業ができなくなるらしいが、今のところ、それに対する一切の保証等は無いらしいのだ。各国の元首は千歳空港からヘリコプターで会場に入るらしい。

 当日の気温は7~8℃位に寒く感じたが、晴天には恵まれた。
 私は初めて遊覧船で中之島にも行き、そこから対岸の温泉街とさらに遠くに頭を覗かせていた昭和新山を見る事ができた。
 昭和新山は昭和18~19年にかけて地震と共に麦畑や松林が隆起し、398mの新山となった山である。当時は戦争中だったので、その事実は機密事項としてほとんど報じられなかったらしい。今でも噴煙を上げ、300℃の水蒸気を噴出している溶岩でできた山である。
 中之島からの帰路、遊覧船を追うカモメの姿を楽しむことができた。

 翌日は火山科学館を見学した。
 温泉街の背後にそびえる有珠山は、1663年の噴火以来、これまでに9回の噴火を繰り返して来た活火山で、一番新しい噴火は2000年だった。科学館では、噴火の歴史と噴火体験、避難所生活などが分かりやすく展示されていた。
 その後、昭和新山の麓に行き、見学してから、途中に幾つもある果樹園の一つに寄り、もぎたてのりんごや葡萄、プラムを買って帰路についた。
 私は少し酸味の強い「姫神」という品種のりんごを買ってきたので、今日はジャムを作る予定である。

 下に数枚の写真を掲載する。
 ①ホテル前の遊歩道より中之島を撮す。 ②丘の上にサミット会場となるホテルを臨む。 ③遊覧船で中之島に渡り、対岸の温泉街と遠くの昭和新山を撮す。 ④昭和新山を麓から。 ⑤りんご園の売店にて

 ① ② 

 ③ ④ 

 ⑤

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伯母を伴い旭山動物園に行った

2007年05月31日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他


 伯母に連れて行くと約束していた動物園行きを、今日、実行した。
 朝起きると晴天。7時半に車で伯母の住む町へ向かった。
 1時間後、先日、伯母が入所した施設の場所を探し当て、初めてのドアをノックした。
 室内では、既に出掛ける支度の調った伯母と前夜来て泊まったという伯母の妹が待っていてくれた。

 二人を車に乗せてその町のJR駅に向かい、窓口で特急を利用する「旭山動物園往復セット切符」を買ったら、駐車チケットを発行してくれた。それで、駅から少し離れた駐車場に車を置き、安心して旭川に行った。伯母は「特急に乗るのは初めてだ」などと言って喜んでいた。
 約1時間で旭川に着いた。駅の売店で昼のために軽食を買ってからバスに乗った。私達は早めに並んだので座席に座れたが、動物園まで30分間、立った人達も沢山いた。

 旭山動物園は丘陵地に作られている。今日は、バスを降り、低い位置にある動物園の正門から入ったので、60年以上した厳しい農作業で腰が曲がり、足も衰えている伯母を配慮し、まず右側にある展示施設を順に見ながら、少しずつ坂を登って行った。急な坂や段差では伯母の腕を支えながら進んだ。

 ペンギン館では、20日前に来た時と同様に繁殖期のため、親は陸で卵を温めていてジッとしているものが多く、見せ場の水中遊泳をしているペンギンは少なかった。飛ぶペンギンを観察するための施設が寂しかった。

 猛獣館のライオンは、緊張感を失っただらっとした格好で観察ガラス窓の傍で昼寝中だった。足の裏の形が良く分かった。

 丘陵地の最高部に作られているのはオランウータンの展示施設だが、「森の人」の空中散歩を見られる「もぐもぐタイム」迄、伯母達と木陰のベンチに腰掛けて疲れを癒しながらゆっくり待った。
 今日は残念ながら雄のジャックと雌は、反対側に置かれた餌に興味を示さなかった。
 この間まで、いつも母親の胸に抱かれて移動していた子どものオランウータンが、4歳になって母親離れしだしたらしく、一匹で高い塔を登り、空中を移動して反対側に置かれた餌を食べ、また母親のいる場所に戻った。(写真)
 飼育係の説明では、今、雌は妊娠中で、行動が緩慢になって来ているそうである。
 私は、待って貰った伯母達に、体の大きな雄のダイナミックな空中散歩を見せられず残念に思った。
 
 次に坂を下りながら、一つずつ反対側の動物を見て行った。 
 新しくなったチンパンジー館は実に変化に富んだ大型の立派な施設なのだが、どうした訳かチンパンジーの動きが少ないのだ。今日も親子兄弟だろうか、赤ん坊を挟んで、数匹が団子の様に一かたまりになって一カ所にジッとしていた。(写真)

 反対に日本猿館は、猿が自分で見つけた餌を食べる姿があちこちで見られた。吊られている缶から下がっている棒を揺らして餌を落として食べている猿、餌が入った四角いプラスチックの箱を転がして餌を出している猿、地面に撒かれた鋸屑?の中から必死で餌を探し出している猿など、それぞれが頭を使って餌を見つけ出している姿が見られて興味深かった。
 
 北極熊館は相変わらず混んでいて、「もぐもぐタイム」を見るために列になって15分待った。熊も疲れて来ているのだろうか。餌に飛びつく動きが、前ほどダイナミックでは無い様に思った。

 アザラシ館のアザラシ達は今日も生き生きと泳いでいて、眼前の水柱の中を何匹もが通り抜けてくれた。水柱が凸レンズの役割を果たすと見えて、そこを通る時には1.5倍位の大きさに見え、特有の体のあざらし模様もはっきりと美しくなるので、今日もアザラシが通る度に大きな歓声が上がっていた。

 見終わってから出口の傍の売店でソフトクリームを求めて食べたら、乾いた喉にすごく美味しかった。
 伯母達にバスの座席を確保するため、少し早めに出てバス停に行って並んだので、帰りも座って旭川駅に戻る事ができた。
 帰りの特急自由席は比較的空いていたので、座席の向きを変えて3人が向き合い、今日の楽しかった思い出を話しながら帰って来た。
 今日は高齢の伯母達が疲れずに楽しめるようにと、たっぷりと5時間かけて見学をして貰った。お陰で、生まれて初めて行った動物園で、一回でほとんどの展示施設を心行くまで見る事ができたと喜ばれた。私自身、2度の経験がある札幌からのバスツアーなら、見学時間は3時間が普通なので、一度に全部を回ることは難しい。今日はJRで個人的に来た良さだと思った。
 また、伯母の様子から、2ヶ月前に夫を亡くしたショックからようやく立ち直れた様に感じた。

 伯母を施設に送り届けたら、ガイドのお礼として昨日採ってあったという蕗をいただいた。明日の朝、皮を剥いて茹でなければならない。
 帰宅して夕刊を見たら、『上野・天王寺・東山動物園 「旭山式」で園客万来』という見出しがトップを飾っていた。全国の動物園がこれまでの珍獣頼みを脱し、旭山動物園に習って色々な動物の行動展示を工夫し始めたので、入園者数が上向き始めているという記事だった。

 

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旭山動物園に行く

2007年05月11日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
 先日、シルバー人材センターの行事に参加して旭山動物園に出掛けた。総勢大型バス1台にぎっしりのシルバーの参加者だった。

 その日の旭川は、大雪山系はまだ雪で真っ白く、ようやく少し育った秋まき小麦の新緑色とのコントラストが素晴らしい景観を見せていたが、風が強く吹き、気温は12~13度と寒い位だった。
 入り口近くの広場にはデイサービスの施設から来た車椅子の方達が150人位と介助者が大勢集まり、代表者の説明を聞いていた。私達は自分で歩くので寒さを何とか凌げるが、車椅子に乗ったままじっとしているお年寄りは、今日ならさぞ寒いだろうと心配になった。外に出ていたチンパンジーも背を丸めて歩いていて、その姿が可笑しかった。
 去年、友人と9月に行った時と比べたら、随分空いていた。おまけに寒いので食堂や土産物店の方が混んでいた。

 私自身は既に2回、札幌発のバスツアーで個人的に行ったことがあるが、1回3時間近くを2回いても全部は見切れていなかった。今回は動物園メインの北極熊、オランウータン、猛獣は止めて、わずか1時間ちょっとの中で、まだ見ていない鳥の飼育場所やは虫類館などに搾り、余った時間でその他の動物を見て歩いた。

   

 美しいフラミンゴは3種類いた。羽とくちばしの付け根が濃い紅色のベニイロフラミンゴ、足は灰色だが膝のかんせつがピンク色のチリーフラミンゴ、足とくちばしがピンク色のヨーロッパフラミンゴだ。
 
 鴨の仲間は7種類居たが、どれも雄が特徴的な体毛と羽毛の配色をしていて、その美しさに見とれてしまった。自然界の動物の毛色は、どうしてこんなにおしゃれなデザインなのかと感動さえ覚えた。

 ペンギン館では、この時期が繁殖期らしく、人気のある水中を飛び回る姿は少ししか見られなかった。外の少し凹型にしてある石の上にじっと座ったペンギンが多かった。

 チンパンジー館では、生まれたばかりの様な小さなこどもを宝物の様に脇に抱え、群れから離れてじっとしている母親がいた。子どもの赤味を帯びた手と足だけがちょっと出ていて、時々動いていた。

 アザラシ館では、大きなアザラシが太い水柱の中を通る度に、取り巻く人々の歓声が上がっていた。

 去年、カピバラと蜘蛛猿を同一の飼育舎にして展示したら、蜘蛛猿が噛まれて死んだ事から、別々に分けてあった。動物飼育の専門家にも組み合わせの善し悪しの判断は難しいのだなと強く感じた。
 
 孔雀舎では、まだ小さくて羽も短い灰色をした子ども孔雀と思われる2羽が、実にけたたましい声で盛んに鳴き続けていた。何を言いたくて泣き叫んでいるのか声を掛けたが、分からなかった。

 山あらし、北狐、狸の飼育舎では、窓を開けると穴の奥に入っている動物を眼前で見ることができるような新しい工夫がなされていた。行く度に展示方法に変化があり、感心した。

 見学後、バスは温泉に寄ったので、折角だからと入浴したら、温泉水がベニイロフラミンゴの様に濃い橙色をしていた。冷えた体には熱い位の温度だった。

 たまたまバスで隣に座った女性と野菜作りなどの色々な話しをして楽しかった。また、彼女は、高齢者家庭の清掃ボランティアと通院付き添いボランティアをしているという。自分が安定した精神状態でないとボランティアは難しいと話していたが、実際そうだろうと思った。私も親戚の高齢者の話し相手や世話に、時々出掛ける事を話したりした。
 人材センターの行事などを通して、色々魅力的な人に出会える事も今後の楽しみだと思った。

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