花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

道東ドライブ(1)

2014年10月14日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
この3連休を利用して、久し振りに娘が運転する車で道東旅行をして来た。3日間天候に恵まれたのと、スタンプを集めながらの走行距離800km強のドライブは楽しかった。

初日は朝6時40分に家を出て「夕張」から高速道に乗って「日勝峠」を越え、十勝の「池田町」まで一気に走った。峠の紅葉は、少し遅かったのか、最盛期を越している様だった。

 

そこから一般道に出て、「浦幌町」を通り、「釧路市」を抜けて「厚岸」に着いた。途中、一輌だけの電車が走っていた。

 

「厚岸湾」のにかかる赤い「厚岸大橋」を渡り、丁度「牡蠣祭り」をしている会場の「子の日公園」に着いたら12時半になっていた。

  

「牡蠣祭り」に来たのはかれこれ数回目になるが、今回も結構人出が多かった。厚岸の牡蠣は、他の生産地の牡蠣に比べて身が大きく柔らかく美味しいので人気がある。
ガステーブルなどのバーべキュウセットを借りることもできるが、私達は2人なので焼いた牡蠣貝を買って食べることにした。
焼き立てにレモンを絞ったのを掛けて食べたが、期待通り今回も美味しかった。

 

 

「子の日公園」を出て、昭和48年に国が史跡に指定した「国泰寺跡」に向かった。ここは江戸幕府が「和人の定着・慰撫、蝦夷地の教化」などを行うために1804年に建てたものだ。
当時の建物はほとんど改築されているが、「老桜樹」や苔むした前庭に当時を偲ぶ事ができた。





  

 

次は「厚岸大橋」を渡って戻り、「味覚ターミナル・コンキリエ」の展望台に行って少し高い場所から遠くまで広がる「厚岸の街」を眺めた。



そこから国道を「根室」方面に向かって少し走ると、「別寒辺牛湿原」を見渡す事ができる「厚岸町水鳥観察館」が見えた。建物の形が水鳥が羽を広げている様なデザインに思われた。



建物の中に入って階段を上り、展望室の望遠鏡で湿原を見たら、大白鳥が4羽、羽を休めているのが見えた。2羽の色が灰色だったので係りの人に聞くと「多分湿原の水で汚れたのだろう。」と応えてくれた。

 
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ミステリーツアーの面白さ

2012年03月19日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

この度、K旅行社主催の「春のミステリーツアー」に従姉と参加した。
ミステリーツアーは行き先は内緒の旅行なので、どこに行くのか分からないという不安の反面、まだ知らない面白い所に連れて行ってくれるかも知れないと言う期待もある。
私は2回目の参加だが、従姉は初めてだ。
予め幾つかのヒントが出ていた。①開通記念 ②お肌つるつる、あったか温泉入浴 ③世界唯一!感動の熱い戦い ④シティーホテルで中華バイキング他だ。
私は「多分、〇〇方面だな」と思っていた。

当日、札幌駅集合7;20で7;30バスで出発した。当日の参加者は大勢いて空席はほとんど無かった。6000円で1日たっぷり楽しめるのだから人気があるのは当然だ。
間もなく高速道路に入り、走る事1.5時間。まだ私たちのバス以外は車が来ていない「〇〇道の駅」でトイレ休憩だった。
女性用の個室のドア裏に中国人向けと思われる張り紙がしてあった。以前に登別で見た張り紙より簡単な説明だ。日本のウオッシュレットが付いている温水便座を使って見て、中国女性はどう思うのだろうか。

     

さらにバスは北海道を東西に分ける日勝峠に全線開通した新しい高速道路を1時間走り、最初の目的地である帯広郊外の「〇〇菓子工場」に着いた。
ここには広い駐車場があって大型バスが何十台も停まれるし、建物の1階は店舗だが、3階に上がると菓子の製造現場を見下ろすようにして見学できる。おまけにコーヒーも無料で飲むことができる店だ。
帯広に今や全国的に有名になった菓子店が幾つか生まれたのは、菓子の原料となる小豆、小麦粉、牛乳、バター、砂糖みんな地元産だという事、人件費が安いからその分、菓子の価格を札幌の菓子店より低くできる事、そして現在も続いているが、主な2つの菓子屋が消費者に認められる美味しい菓子の生産と集客力を競い合った歴史があるからだと思う。
この店は札幌にも各デパートなど数か所に出店している。(以前聞いた話では、帯広の菓子店は毎朝3時頃に菓子を積んだトラックが工場を出発し、札幌の各店舗に配送しているという) 
その店にここでしか販売していないという菓子があったので、私は世話になっている近所の方にそれを数個買いサービス箱に詰めて貰った。自分用にはダイエットを考えて2個だけにした。見ると従姉を始めとしたほとんどの人達が驚くほど大量の菓子を買っていた。従姉には「そんなに買って、持ち帰るのが大変じゃないの?」と言った程だ。

  

そこから昼食会場の〇〇ホテルに行った。会場は狭かったが、とても美味しい中華バイキングで満足した。

次に向かったのは、今や世界で唯一になってしまった「ばんえい十勝競馬場」だった。かっては北海道の他都市にもばんえい競馬はあったが採算が取れずに廃業となり、今は帯広だけになってしまったのだ。
私達は感じの良い女性ガイドから説明を受け、馬券の種類、買い方を教わった。買った人が大勢いたが、私は買わなかった。
レースはあっという間だったが、重いそりを引きながら障害物を乗り越え、体から湯気を上げながら走る馬に力強さと美しさを感じた。

 

  

 

その後、「十勝川温泉の某ホテルに行って入浴」し、札幌に帰って来た。
出発から11時間半、行く方向も場所もほとんど私の予想が当たったミステリーツアーだったが、往復のバスの車内では久し振りに従姉とたっぷりと話せた事も良かった。
従姉は満足したようだし、北海道観光を台湾、中国、韓国などの東南アジアの人達だけに頼っていないで、私達ももっと地元の良さを知るために気軽に参加できたら良いと思う。またそのうち花が見られる季節になったら適当なバスツアーに参加したいと思った。




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再度、登別温泉へ

2011年12月18日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

農園を共同でしている友人達2人と今年も忘年会をする事になり、私が世話役になった。
20日前に妹夫婦と行った登別温泉が良かったので、今回もその温泉にした。しかし友人達は結構食事などに厳しいので、ホテルはランクが高いDにした。
最低気温がー8℃だったという寒い札幌の駅で待ち合わせ、14時発のホテルの送迎バス(往復1000円)に乗って出発した。
自由席だと聞いていたので私達は乗車口に早めに行って並び、最前列の席に座り、おしゃべりをしながら過ごした。
バスは高速道路を走ったが、途中新千歳空港にも寄って客を乗せた。苫小牧を越した頃、右手に樽前山が見えて来たが、中心ドームはガスに包まれてはっきりとは見えず、降雪で真っ白い西山ピークと東山ピークは見えていた。一昨年、3人で樽前に登ったので、友人は「私の樽前山だ。」と言っていた。

ホテルには4時半に着いた。広いロビーの一角にクリスマスツリーの飾り付けがあり、サンタの人形がそれぞれ違う動きをしていて見ていて楽しい。
             

案内係りに案内されたのは、ゆったりと広い温かな和室だった。聞くと「今日は金曜日だが、宴会がいくつか入っているので600人位の客が宿泊することになっている。」と答えてくれた。
早速温泉に行った。
脱衣室は結構混んでいて、言葉から東南アジアの国の人だと分かる人達も大勢いた。さすがDホテルだ。
浴室の入口には「水着は使用しないで下さい」と書いた看板が立っていた。外国の温泉はほとんど水着で入るので、外国人向けなのだと思った。
湯を溢れる様に満たしているすごく大きい湯船が幾つもあるので、浴室内では全く人数の多さを感じなかった。
それぞれ泉質、温度が異なっていたので、私が先日仕入れた登別温泉の特徴(9種類もの異なる泉質の温泉が湧くので、温泉のデパートと言われている事など)の知識を友人達に披露した。

夕食はバイキングだったが、食材も良く、何人もの調理師が調理しながら提供する料理が多いため、美味しかった。十分に食べてから部屋に戻り、また冷やして置いたワインを飲みながら、夜中まで和気あいあいとおしゃべりをした。
並んでいた3つの布団のどれにするかは、じゃんけんで決めた。いつも私は負けて真ん中になるのだ。

朝起きて直ぐに温泉に行った。大きい窓から見える雪景色が美しく、夜とは全く違う趣があって凄く良かった。
朝食を美味しく食べた後、フロントが混まない内にと会計を済ませ、バスが出るまでの時間、2人を近くの地獄谷見学に誘った。地獄谷の硫黄臭気や水蒸気煙は20日前と同じだったが、雪に覆われた姿はまた格別の光景だった。高台にある神社に登りたかったが、急な階段が凍って危険みたいなので止めた。入口の赤鬼、青鬼も裸なので雪の下では寒そうだった。

 

  



10時発の帰りのバスも最前列に座れた。札幌に戻ったら12時を越えていた。
晴天で前日よりは暖かく感じられたが、最高気温はー2.4℃だったらしい。
駅で友人達と別れた後、13時に駅で待ち合わせた従姉のために隣接するデパートの地下の酒屋に行った。そこで見つけたドイツ製のフルーツワインを1本とパン屋で数個のパンを見繕った。彼女とはピザを食べ、おしゃべりをしてからJRで帰宅した。

家は1晩空けただけで居間が13℃まで冷え切っていたので、電気を入れた後、温まるのにしばらくかかった。
夜はTVのNHKスペシャル「日本新生・激論/税」を見て寝た。スエーデンやフランスの試みが興味深かった。

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三笠フットパスに参加して(2)

2011年08月29日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

かっての幾春別駅跡からもう一つの「奔別立坑コース」2.9kmを辿った。
道路は緩い登りが続いていて、気温29℃の下、水を飲みのみ着いて行った。
高台に着くと広い平地があって、そこは小学校のグラウンド跡で、1つのグラウンドを挟んで両端に二階建ての小学校校舎が二つあったのだと言う。右側に幾春別小学校、左側に奔別小学校である。二つの炭鉱別に従業員の子供が通っていたのだ。私は自治体が建てる学校しか知らなかったので驚いた。

   

道を折れて下ると「住友奔別鉱立坑やぐら」が下に見えだした。さらに行くと説明看板があり、かって炭鉱マンだったという男性が説明してくれた。
少し降りた所に巨大な立坑跡が聳えていた。ここは1960(昭和35)年、地下750m以上の深部の採炭をするためにドイツから技術を輸入し、三菱造船株式会社が建造した立坑で、やぐらの高さ50.5m、深度750m、内径6.4m、エレベーターは1度に人を16人×4基=64人という巨大なものだった。
採炭効率は飛躍的に向上したが、坑内温度の高さを嫌った採炭夫が大量に辞めて行く事になり、1971(昭和46)年に閉山となったと言う。
巨大な立坑の骨組みとエレベーターを見て、僅か11年間しか操業できなかった立坑に強い悲哀と化石燃料に切り替わって行った時代の変遷を感じた。

   

博物館に戻り、この一帯から出土した約1億年前の中生代白亜紀に海中にいた「アンモナイト」の化石と大型海生肉食爬虫類「モササウルス」の骨の展示室を見てから帰宅した。(三笠から骨の一部が発掘されて国の天然記念物になっている「エゾミカサリュウ」は、モササウルスの新種だそうだ)



暑さの中、今は人口1万人余になってしまったかっての産炭地三笠を半日歩き回って疲れたが、久し振りに知的好奇心を満足させられたフットパスだった。
私が中学生だった50年程前、遠足で幾春別駅まで列車で来て、そこから三笠市の奥にある桂沢湖に行った事があるし、北炭の炭住で暮らしていた親戚を訪ねた事もあるのに、この辺りが当時どんな様子だったのかを定かに思い出す事ができなくて残念だった。
もしこの先、この地域の特徴ある地形と化石、炭鉱の歴史と記憶を自然と文化の遺産として残すのであれば多額のお金が必要だが、地域の知恵を集めて宣伝し、もっと良い状態で建物を保存した方が良いのではないかと思った。建物をこのまま放置すれば、やがて風化し崩れ落ち、消失するのは時間の問題と感じた。

         

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三笠フットパスに参加して(1)

2011年08月29日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

昨日、娘と一緒に南空知の町三笠市の炭鉱の歴史的建築物と自然を訪ねる「三笠フットパス」に参加した。
北海道空知総合振興局が主催したこの会は13時からだったので、札幌を11時に車で出発し、途中岩見沢市で昼食を食べた。
集合場所の三笠市立博物館に着いたのは、5分前だった。
博物館前で受付をして、説明されているパンフレットと無料見学券を受け取った。(ブログの文はこの資料を活用した)
館内に入り、最初に三笠周辺の地形は、今から2000万年前の造山活動の際に1億年前の白亜紀の層がその上にあった5000年前の古第三紀層と共に押し上げられ、左右からの力で潰れて、直立に近い急傾斜の地層ができた国際的にも貴重な場所である事と、閉山前には「北炭幾春別炭鉱」と「住友奔別鉱」の二大炭鉱が操業をしていたという歴史を写真やスライドで説明された。

      

フットパスは2コースがあったが、最初に幾春別川に沿って作られた「錦立坑コース」2.6kmに向かった。
まず1885(明治18)年に開坑した北炭幾春別炭鉱の「錦立坑」の跡地を見学した。笹は刈ってあったが、滑りやすい山道を少し登った所に立坑が残されていた。
この立坑は1919(大正8)年に建設され、現在北海道に残る立坑としては最古のもので、やぐらの高さ10m、立坑深度195m、内径4.5mのものである。
1953(昭和28)年に採炭を止め、1957(昭和32)年に閉山したというから、この立坑は34年間日本のエネルギー生産の一翼を担い、多くの採炭夫を地下200mの採炭現場に下し、掘った石炭を地上に運んだ事になる。雑木に埋まっている大きな滑車と傍の変電所の廃屋に当時を偲んだ。

  

また少し歩いて行くと山肌に縦の地層が露出していた。砂岩の間に黒い石炭層があるのが分かった。ここの石炭層は数千万年前生えていたメタセコイアなどの巨木が倒木して地下で石炭ができ、2000万年前に地上に出て来たものなのだと言う。斜面に露出する石炭を掘ってできた「狸掘り」の穴もあった。

      

その先に「ひとまたぎ覆道」があり、入り口の場所が一跨ぎで5000万年異なる地層になるという神秘的なロマンあふれる所だった。
覆道の出口には、ずれた断層が露出している場所があった。

      

引き返してかっての国鉄幾春別駅があった所に出た。往時のコンクリートのホーム跡が雑草に埋もれていた。この辺りには商店街、歓楽街があり、当時はとても賑わっていたらしい。
実は小樽手宮~幌内間の鉄道は、全国で3番目、北海道では初めて1882(明治15)年に敷設された鉄道で、三笠~幾春別間は1888(明治21)年に石炭を搬出する鉄道として開通したものだった。そして1987(昭和62)年に人口減少に伴い廃止されたのである。(つづく)

           

            


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温泉宿は閑古鳥

2011年04月11日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

先日、かなり前に予約してあった札幌郊外の定山渓温泉に、畑の仲間3人で行き、1泊した。
札幌駅から出る無料送迎バスに乗った人は僅か20人位に過ぎなく、客の少なさに驚いたが、1人1シートでゆったりと座る事ができた。
1時間弱で定山渓に着き、バスは2か所の温泉ホテルを回って客を降ろすのだが、最初の中級ホテルでは7割位の客が降りてしまった。
私たちと残りの客は、宿泊料金が少し高い方のホテルだったので、最後に降りた。

ロビーに入ったら、着いた客よりも出迎えてくれた従業員の方がはるかに多い。
3階の部屋に行くまで、館内は本当に静まり返っている。
6時半に夕食を食べにレストランに行ったが、テーブル席がガラガラの状態で寒々しかった。
主任らしき男性に「何時になくお客が少ないように感じますが、最近はこうなんですか。」と尋ねた。
すると、「予約していた中国、韓国、台湾からの客の9割がキャンセルしてしまったんですよ。」という返事だ。
今回の東日本大震災の北海道への影響は一部の沿岸地方だけだったし、福島の原発事故も、今の所、北海道への影響が少ないのにと、驚いてしまった。
こんな状態が全国的なら、日本経済は大打撃を受ける事は想像できる。

夕食後、大浴場に行ったら、私たちの他には1人しかいなかった。
その後、分担して持ち込んだおつまみや果物を食べながら、ワインを飲んでおしゃべりをした。話は自然と大震災と原発の事になった。
3人で色々と議論していたら24時になったので寝た。

翌朝、私1人で大浴場に入りに行ったら、誰もいなかった。
たまたま使おうとしたシャワーの湯の温度が調節できなかったので、係りの女性に話すと、「使用量が少な過ぎると、温度調節がうまく行かなくなるのです。」と説明してくれたが、私は「火傷をしたら困るので、点検した方がいいですよ。」と言った。

人が少ないレストランでゆっくりと朝食を食べたが、客が少なければ、手作り感が強い美味しい料理を、種類を多く維持するのが大変だろうと同情した。
今回は私が幹事になってホテルを選択したのだが、2人の友人は「部屋が広く、ゆったりとくつろげたし、料理も美味しかった。」と大満足だった。
それで私は彼女たちに、「こんな状態が続くと経営が立ち行かなくなるから、また来ようよ。」と言った。

今朝、従妹から電話が来たので、「温泉に行かないかい。」と誘った。
行くと言うので、早速、定山渓温泉の別のホテルを予約した。今度は中級ホテルだが、来週火曜日にまた1泊する事になった。

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晩秋の旭岳

2010年10月02日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

朝から快晴だった昨日(10月1日)、畑の友人2人を誘って私の車でドライブに出かけた。
計画は私に任せられたので、友人達には当日までミステリーツアーということにして置いた。
私は色々思案した結果、行き先を道央の旭岳に決めた。
旭岳は北海道の最高峰で、標高2291mの山だ。全国で1番広大な面積を有する大雪山国立公園の主峰であり、日本で最初に紅葉が始まると言われる山でもある。
その旭岳には、既に1週間ほど前に初雪が降ったというニュースがあった。しかし、1600mの高さにある姿見駅までロープウエーで楽に行くことができるので、秋枯れた高原を散策できる筈だった。
友人達には、行く先は告げずに、予め軽登山靴の必要と寒さ対策などをお願いしておいた。

私の家には9時に集合してもらって出発した。
高速道路が無料になる岩見沢インターまで一般道路を1時間弱、そこから高速道路で旭川北インター迄1時間、そこからはまた一般道路を1時間走って旭岳のロープウエー乗り場に着いた。
途中、忠別ダムの展望台から18km離れた東方に聳える旭岳を望んだ。白銀に輝く山は、絵のように美しかった。写真①
山道を登り、ロープウエー乗り場に着いた。駐車場に車を止め、そこで持って来たカーディガンとウインドブレーカーを重ね着し、軽登山靴に履き替え、杖を持った。
そしてまず、乗り場のレストランで軽食を取った。ガラス越しに旭岳と運行中のロープウエーが見えた。②

 ①  ②

私達は、午後1時発のロープウエーに乗った。ウイークデーなので15分間隔で運行しているロープウエーはがらがらだった。
姿見駅で降りると空気が冷たい。聞くと11度だという。ちなみに旭川市のこの日の最高気温は21、1度だったが、さすがに標高1600mだ。

係りの女性から、散策コースの説明、ロープの遊歩道の外には出ない事、ごみを持ち帰ることなどの話を聞いてから、先ず20分かけて標高1670mにある姿見の池の展望台まで上った。この散策路は、旭岳の登山道ともなっていて、傾斜が緩やかで疲れなかった。
展望台で池の向こうに聳える旭岳③と愛の鐘④を写した。この鐘は、山で遭難した人達への鎮魂の音を響かせた。

 ④

また、「自然のバランスを崩すから、野生動物へのエサやり禁止」と書かれた立札があった。⑤ (写真の後方下には、ロープウエーの姿見駅が見える)
さらにそこから少し上に登り、音を立てて勢いよく水蒸気が噴き出す地獄谷噴気孔⑥に立ち寄った。看板には「大雪山は1000万年前に千島列島の海洋プレートが北海道に衝突し、地下深くもぐりこんだ圧力で岩石が溶けた。それが火山として噴出し始めて、次々と山ができた。何度もの噴火で陥没や崩壊が繰り返されたが、約600年前の爆発で山頂部が崩落してこの地獄谷ができた」と書いてあった。まさに生きている地球を実感した。

 ⑤ ⑥

⑥噴気孔⇒第4展望台⇒後方に中岳を望む鏡池⑦⇒第3・第2展望台⇒第1展望台⇒姿見駅と1時間半で散策路を一周した。

  ⑦

高山植物は皆冬支度をしていて、チングルマは綿毛状になっていた。⑧

  ⑧

途中でガイドに連れられた100人位のツアー客に出会った。
比較的軽装をしているので聞くと、関東から3泊4日の北海道ツアーで来たのだという。
ある熟年男性は、「ここにずっと居たいけど、時間が決められているので残念だ。」と話していた。

下りのロープウエーはツアーの人達でぎっしりだった。降りて駐車場を見ると、大型観光バスが6台も停まっていた。
帰りは往路を戻った。岩見沢インターの休憩所でソフトクリームを食べたが美味しかった。
家に着いたら6時半を過ぎていた。
久し振りに往復6時間、走行距離430kmという遠出の運転で少し疲れたが、友人達との秋のドライブと大自然を堪能できた。

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ニセコへ紅葉狩り

2009年10月21日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
一昨日、畑の友人3人で秋のドライブを楽しんだ。
車の運転は私の役目で、行き先はオーストラリア人が好きなニセコ方面だった。
(冬、積雪が多いニセコには、幾つものスキーの本格的なゲレンデがあるが、雪質がパウダー状なので、南半球のオーストラリア人にとってとても魅力的なのだそうだ)
またニセコには、日帰り登山ができる山が幾つかあるため、私にとっては50代の後半に、札幌から幾度となく通った思い出の地域でもあるのだ。
今回は素晴らしい晴天に恵まれ、途中の美しい紅葉に歓声を上げながらの楽しいドライブとなった。

途中、大滝のきのこ村で、名物きのこ汁100円を食べながら休憩。
それから名水の里、京極町の「ふきだし公園」に行って羊蹄山の美味しい湧き水を飲み、紅葉を鑑賞。
ここには大きい容器を幾つも持って、水を汲みに大勢の人が訪れていた。札幌から来る人も多いのだと言う。(写真①)

次に羊蹄山(標高は1898mあり、蝦夷富士とも呼ばれている美しい山である)の裾野を回り込むように西に走って、真狩町の登山口に行って見た。
丁度、中腹から上は雲に覆われ、頂上を見ることはできなかった。②(写真の左側にある道路の奥が登山口)
この時期、夏山シーズンの賑わいとは違って登山者のテントや車は見当たらず、僅かに小鳥の声だけが聞こえていた。
私は、数年前の9月に一人で6時間かけて登山した経験、水場がないので必要な水は2L以上持たなければならない事、険しい場所は無いけれど、とにかく時間が掛かる事、などを話した。
今回は3人で登山口から20m位登っただけだったが、初めて来たと言う友人達には好評だった。

  ①  ②

それからニセコ町に行き、駅前温泉「綺羅の湯」で入浴した。
月曜日だったので客は少なく、ゆったりと温泉に入れた。また、レストランで食べたランチもなかなか美味しかった。
出発する前に、向かいにあるニセコ駅に行って見た。
チロル風の駅舎の外③にもホームにも④南瓜の飾りつけがしてあり、小さいけれど洒落た雰囲気の駅だった。

  ③ ④

温泉からは山道「パノラマライン」に入り、私がかって登山した秋枯れのニセコアンヌプリ山、チセヌプリ山、しゃくなげ岳などを見ながら、くねくねとした道路を北の岩内方面に向って登って行った。
途中、広い竹やぶ「大谷地」を通り、神仙沼入り口まで行ってから戻った。(大谷地周辺は、春の竹のこ採りシーズンには警察が出動する位、人と車で賑わう場所だ)
途中の山は、すっかり葉を落とした灰白色のダケカンバ(岳樺)の林に覆われていた。緑に覆われていた夏山の景色とは全く異なるその幽玄な姿に、私たちは本当に驚いた。

帰路、ニセコの道の駅で小休止の後、再度、大滝のきのこ村に寄り、きのこを買ってから帰って来た。
友人達との初めてのドライブは、景色もおしゃべりも温泉も本当に楽しかったので、また来年、ドライブをしようと言って分かれた。





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久し振りに車で十勝へ

2009年08月16日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
旅行とまでは言えないが、12日から今朝まで娘が住む帯広近郊まで車で行って来た。
急に連絡したのにも関わらず、14日は、帯広に住む旧友が数人集まってくれて、楽しく近況を語り合う事ができた。

15日は、午前と午後の2回、気温が28度位ある中、2箇所で家族とパークゴルフを楽しむ事ができた。
朝9時に行った十勝清水のパークゴルフ場は、山の斜面に作られていて、遠くに雄大な十勝連峰を見渡しながら数十m下のポールを目指してボールを打つコースが2つあり、気分が良かった。
また、さくらんぼの大木が数十本植えてあって、樹間でするプレイは涼しかったが、気温が高かったのでブヨが沢山いたのが気になった。

午後は清水から33km離れた場所にある音更のパークゴルフ場に行った。
そこは平地だが木が多く、やはりブヨが飛び交っていた。
予め顔と首には虫除けスプレーを噴きつけたのだが、しなかった手首を刺されてしまった。今、刺された手首が腫れ上がって太くなっているが、顔でなくて良かった。

さすが十勝はパークゴルフ発祥の土地柄、広大なパークゴルフ場があちこちにあり、そのほとんどが無料なのだが、今回行った清水は1日400円、音更は1日200円だというので、その安さにも驚いた。

夕方、焼肉店に行き、美味しい十勝牛の網焼きをご馳走になった。

そして今朝、4時半に起きて、娘の家を5時25分に車で出発し家に向った。
標高1,020mの日勝峠(日高と十勝の間の峠)が近づくに連れ濃霧が立ち込め、視界20m位の場所もあったが、6時前の峠は晴れていた。
展望台で車を降りて、登って来た十勝側の写真を撮った。
清水側には雲海が立ち込めていた。まだ車も少なく、空気が綺麗で気温は16度、気分が爽快だった。
 
    

 

日高町に下る山道でもまた濃い霧が発生したので、センターラインを辿りながら慎重に運転した。
急勾配ときついカーブが続いた。
それにしても日勝峠を越える国道274号線「樹界ロード」には本当にトンネルが多い。
また、「鹿の飛び出しに注意してください」と書かれた標識も凄く多かった。
1箇所だけ「熊と鹿に注意」という標識もあった。

ひたすら走り、家に着いた時間は8時10分だったから、早朝でも2時間45分かかった訳だ。
今回の往復全走行距離は400km余り。久し振りの遠出だったが、快適だった。
懐かしい旧友にも会え、娘の日常生活を見たり、忙しい彼女の掃除の手助けもできて良かった。

家に着いてからは、私の帰りを待っていた枯れた庭の花を早速摘んだ。
1時間、庭の手入れをしたら汗だくになったが、やっといつもの庭に戻り、ホッとした。


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奥尻島に行って来た (3)

2009年06月24日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
奥尻島を代表する海の景観は、自然に作られた岩だった。
その第1が東部中央にある奥尻港近くにある④「鍋釣岩」だ。高さ19.5mあって、夜はライトアップされている。
⑤は左が神威岩で右が兜岩だと思った。

 ④ ⑤

奥尻港の南にある「うにまる公園」の海沿いに⑥モニュメントの「うにまる」が作られている。120本のとげを持った紫うにがモデルだそうだ。
帰りにフェリーが待つ港に行くと、⑦「うにまるくん」が手を振って見送ってくれた。
また、「うにまる公園」の一角に奥尻島出身の「佐藤義則野球展示室」があった。展示をざっと見たが、近年、ダルビッシュを育てた彼は島の誇りとされている事が良く分かった。

 ⑥ ⑦ ⑧

11時過ぎにアワビ、刺身がセットのホタテご飯定食を食べてから、フェリー乗船場の土産屋で買い物をし、12時40分出航の船で瀬棚港に戻った。

帰りのバスは、長万部から高速道路に入り札幌まで走ったが、着いたら19時を過ぎていた。
初めて奥尻島に行った今回の旅だったが、津波の大被害を受けた奥尻島にもかかわらず、豊かな水産資源に恵まれた綺麗な海と島の風土を生かした農水産業によって、厳しいけれども復興の努力を続けている島民の姿が感じられ、ほっとさせられた旅になった。
しかし半面では、高齢化が進むこの島をどうすればもっと活気ある島にできるだろうかと、考えさせられたりもした。

最後に洞爺湖展望台の土産屋で売っていたTシャツ⑧を紹介して、今回の旅日記を終える。

 


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奥尻島に行って来た (2)

2009年06月23日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
奥尻島観光の一つが写真①「宮津弁天宮」だ。
ここは1831(天保2)年に漁師達が弁天様を奉納して大漁を祈願したことが始まりだという。
バスを降りて弁天宮に行くには、一旦急な階段を下り、それからもう一度海に突き出た丘に登らねばならない。勾配が急なので段差が大きい階段が164段作られていた。上り下りするのが厳しく、私は息が上がり、汗をかいた。
簡単に行けない場所にこうした宮を作る心理は、世界共通だと思った。

その後バスは、島の北東部・宮津から北西部・幌内に抜ける山道に入り、標高369mの「球島山山頂展望台」に向った。
急に濃霧が立ち込めて来た。晴れていたら最北端の稲穂岬までの絶景が見られると言うが残念だった。しかし、この時期としては珍しい②八重桜が咲いていたり鶯の鳴き声が聞こえたりして、私たちを歓迎している様だった。

 ① ②

山を下り、幌内の「湯の浜温泉」にあるホテルに到着した。③そこは外観が洒落た洋風のホテルだった。前庭には古代ギリシャの神殿風の柱が立ち、下方には幌内港が美しく見渡せた。(ホテルの人に聞くと、この柱は景気が良かった時に遊び心で建てた物だが、震災では全く損傷しなかったそうだ)

楽しみだった夕食には、豊かな島の幸が取り揃えられていた。
塩うに、うに汁、うに豆腐、イカ、蛸、鮭の刺身、アワビ料理、メバルの唐揚げ、モズク、ホッケの三平汁などが並んだ。
私は、折角のうにを加熱してしまう料理は実に勿体無いと思った。

 ③   

   

また奥尻島では米も栽培されていて、島民の主食は島内で賄えるのだそうだ。
今回は食べる機会は無かったが、山間部で茶色毛の肉牛も沢山飼育されていた。


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奥尻島に行って来た (1)

2009年06月22日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
20~21日、1泊2日のバスツアーで奥尻島に行った。
8時に曇り空の札幌駅を出発したバスは、途中、中山峠、洞爺湖サイロ展望台、長万部で休憩、昼食をとりながら、5時間半かかってやっと13時35分に道南・瀬棚町のフェリーターミナルに到着した。
写真①曇っていたが、休憩した洞爺湖を望むサイロ展望台からは美しい洞爺湖とその向こうに昭和新山がはっきり見えた。右は活火山・有珠山。 
②フェリーターミナルの壁に、瀬棚町で開業したという日本初の女医、「荻野吟子の写真」があった。
③瀬棚~奥尻島間18kmの海を1時間45分で結ぶフェリー。2等船室乗船料は、大人1960円。
私は5時に起きた疲れのためか、乗船後まもなく寝てしまった。

 ① ② ③

奥尻島は、平成5年7月12日に起きた北海道南西沖地震により大被害を受けた島として有名である。総数で198名が死亡、行方不明になった。
上陸後、バスで最初に訪れた「賽の川原」(道南5大霊場の1つで、海南犠牲者と子どもを慰霊するところ)には、④震災の慰霊碑があったが、⑤横に個人が建てた震災の慰霊碑もあった。

 ④ ⑤ 

翌日訪れた島の最南端・青苗地区は、南西沖地震の被害が最も大きかった所だ。ガイドの話では、津波が来た後で起きた火災は、それぞれの家の外にあった灯油タンクのために被害が大きくとなったのだという。
そこには災害の記録を収蔵する「奥尻島つなみ館」が建てられていた。
また傍には⑥「時空翔」と名づけた御影石の巨大な慰霊碑が海を背景に作られていて、⑦その隣に天皇陛下が新春の歌会で詠んだ歌、「壊れたる建物の散る島の浜 物焼く煙立ちて悲しき」の歌碑が建てられていた。

 ⑥ ⑦

⑧バスの車窓から写した地震の地盤沈下によって沈んでしまった道路の波除けトンネルに鵜が止まっていた。現在は海岸よりかなり高い位置に新道が作られていて、私たちのバスもその新道を通行した。
また、青苗地区の市街地は、海岸から離れた高地に作り直されていて、どの家も真新しかった。
被害があった小学校は、新しく高床式に作り直され、津波が来ても人災が少ないようになっていた。

 ⑧

海産物店のおじさんが、「妻は被災して死んでしまい、2人の息子は札幌で家庭を持っているので寂しい。今の奥尻島は、農業、漁業以外は働く場がないので、若い人は皆島から出て行ってしまう。」と話してくれたのが印象的だった。




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函館山周辺地区を散策

2009年05月03日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
五稜郭公園から再び西部にある函館山の麓に戻り、周辺地区を歩いて観光した。
目立つ黄色い色の西洋建築が旧函館区公会堂①だ。その東側にハリストス正協会②の十字架を載せたドーム状の屋根が目を引く。真っ赤な椿の花が階段の途中に咲いていて彩を添えていた。
少し行くと聖ヨハネ協会③もあり、早くから外国船の入港を許した港町の独特な異国情緒溢れる光景を楽しむ事ができた。
また、十字路で函館山を背にして坂道の下りへと目をやると、傾斜がきつい坂道が伸びていて、海につながる絵のように素敵な景色④となっていた。ホテルの部屋から見下ろした摩周丸が海に浮かんでいる姿も見えた。

  ② 

 ③  ④

その後またベイエリヤに戻ってから、1時間の自由な昼食時間になった。
私は友人と明治42年に建設され、今はビヤホールやレストラン、各種みやげ物やが入って賑わっている金森赤レンガ倉庫群の中の道を散策してから、倉庫の中で経営しているイタリアンレストランに入り、ピッツアを食べてからバスに戻った。

 

ゴールデンウイーク中の土曜日の午後だったため、帰路は函館郊外で渋滞に会い、札幌には予定より40分遅れた19時20分に到着した。
今回のバス旅行は、松前の桜は残念だったが、他はどれも満足できた旅だった。
友人とは、「またどこかへ一緒に行こうね。」と約束して別れた。
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道南に花見に行く

2009年05月03日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
数日前から北海道にもやっと春が来た。
5月1~2日は、友達と2人で道南の桜の名所、松前公園と函館五稜郭公園に行くバス旅行に参加して来た。

朝、7時半に札幌駅を出たバスは、途中3箇所程トイレ休憩をとり、北海道の最南端に近い松前町に着いた頃には1時半になっていた。
松前町は、道南の和人社会をまとめた蠣崎氏が、慶長9(1604)年に蝦夷地で初めて諸侯の1人に認められ、松前藩を開いた土地である。
松前藩は、米が取れなかったため石高で力を示せなかったが、京都、大阪と北前船で海産物、木材などの交易を行って富を築いた相当豊かな藩だったらしい。(当時、北海道の先住民族だったアイヌからは、暴利をむさぼっていたのだが)
松前城は小さな城だが、その周辺に植えられている250種1万本の桜は、北海道で真っ先に咲く桜として有名である。
開花を期待して行ったが、残念な事に一部に大山桜がさいている他は、まだ1~2分咲きだった。しかし札幌では育たない椿の花が満開だったのが見られて良かった。

      

仕方がないので公園の1番奥の江戸時代の松前藩屋敷を再現してある場所に行き、入場券を買って一巡して来た。
そこでは、蝦夷地に入ろうとする者や船、荷を検め、税をかけた沖の口奉行所や武家屋敷、番屋、商家、廻船問屋、民家、旅籠などが再現されていた。
私は大分前に伯母を連れて来た時に見ていたが、初めてだった友人は、「来て良かった。」と言っていた。

    
 
松前から函館に向う途中の町知内町は、津軽海底トンネルの北海道側の出入り口がある町だが、今回、北海道新幹線の線路工事がすでに始まっている事を知った。

  

函館には6時前に着いた。
直ぐにベイエリアにあるホテルの部屋に入ったが、6階の部屋の前は港で、昔就航していた摩周丸がそのまま青函連絡船記念館になっている姿も眼下に臨めた。夜になるとライトアップされた摩周丸がロマンチックに見えて素敵だった。
その日は各自で夕食を食べる事になっていたので、友人と相談して近くの回転寿司店に入ったが、美味しかった。

翌日は朝8時にホテルを出て、真っ直ぐに五稜郭公園に向った。
五稜郭は、箱館開港とロシアの南下に対抗するため1864年に完成した日本で最大・最初の西洋式の城で、箱館戦争の舞台ともなった場所だが、現在は城跡が公園になっているのである。
天気が良かったので、107mある五稜郭タワーに上った。
上からは五角形の星型に作られた城のお堀と生垣、その周りに植えられている千数百本といわれる満開の染井吉野の全体像を望む事ができた。思わず「凄い!」と声が出た。
残念な事に、展望台からは全体を写真に収める事はできなかった。

次に下に降りて、お堀の淵に植えられた桜並木の下を散策した。
近くで見る桜は圧巻で、花が枝の先までびっしりと咲いている様子が分かり、1本々々の老木の生命力を十分に感じ取る事ができた。
「はるばる函館まで来た甲斐があったね。」と友人と話した。

    
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初冬の道北に行った(2日目)

2008年11月10日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

2日目は8時半にホテルを出発し、海沿いの道を北に走り、程なくアザラシが生息する「抜海港」に着いた。
バスから降りると、強い冷たい風が吹き、波の花が舞っていた。写真①の足元にあるのが、飛んで来た波の花だ。
岸壁から30m位離れた海の中から20~30匹のアザラシが顔を出しているが、遠すぎてよく見えない。天気が良ければ、もう少しはっきりと見えるのかも知れない。
展望ハウスの中に入ると、「今日のアザラシは61頭」と書いた観察記録が貼ってあった。

 写真① ②

次の観光場所は稚内温泉だった。新しい大きな施設で、温泉に入った後、カラオケやゲームをしたり、マッサージをする設備も充実していた。この温泉の湯は透明だった。地元の老女が「船で来るロシア人は、自転車を持って行ってしまったり、店で商品をポケットに入れたりして困る。」と話していた。私は、「その内できたらここからフェリーでサハリンに行ってみたい。」と話した。
温泉を出て、レストランでソフトクリームを食べた。美味しいクリームだった。

次いで日本の最北端「宗谷岬」に行った。ここも飛ばされそうな強風で寒く、じっとしていられない天候だった。
波も高かったが小型の尾白鷲やかもめが飛び交っていた。
もし晴れていたら、海の向こうに利尻富士やサハリンが見える筈だが、残念だった。

 ②

そこからバスはオホーツク海に沿った国道を南下し、「猿払村」のレストランで昼食を取った。ここは帆立貝の稚貝放流事業で現在は水揚高日本一の町だと言うので、私はホタテのフライ丼を注文した。新鮮なホタテ貝がたっぷり入っていて美味しかった。
またレストランの建つ前浜オホーツク海は、1939年(昭和14)には、ロシア船インデイギルカ号が沖合いで座礁し、村民達が多くの命を救った場所であり、また、1983年(昭和58)には、撃墜された大韓航空機の遺体・遺品が流れ着いた所でもある。

さらにバスは、「猿払」から30km程南下した所にある「クッチャロ湖」に立ち寄った。この時期にシベリヤから飛来する白鳥が、羽根を休めているのを見るためだ。
餌の食パンを売っている人がいて、買って投げると鳥達が大勢集まるのだ。野生の鳥とは思えない人慣れした鳥達だった。白鳥を初めて見た妹は感動していた。白鳥に混じって鴨も沢山いた。
私は、数日前のTVで、野生の鳥には餌をやったり近づいたりしないように、と言っていたのを思い出した。鳥インフルエンザの感染を防ぐためと、野生の鳥の逞しさを守るためだと言っていた。私は、観光客がやる餌で、もしもこの場所の居心地が良くなり、いつまでもクッチャロ湖に留まろうとする鳥が出ないか心配した。

 ③

全ての観光を終えて、バスは札幌に向かった。内陸部では山や野に雪が白く残っていた。
道北は、子ども達が小学生の頃、夏休みにキャンプをしながら車で回った事があったが、今回のツアーは、たまたま初冬の悪天候とぶつかり、大自然の雄大さと厳しさを強く感じた旅になった。
札幌に着いたら8時半を過ぎていた。


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