花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

韓国の従軍慰安婦像

2011年12月15日 | 社会・事件・ニュース

ニュースによると、韓国ソウルの日本大使館前で1992年以来毎週水曜日に行って来た従軍慰安婦に対する日本政府の「謝罪と賠償」を求める集会が、この14日に1000回目を迎えた記念に、元従軍慰安婦たちが記念の少女像を設置したという。日本政府は撤去を求めているが、難しそうだという。
今朝の新聞に掲載されていた余りにも若いその像の写真を見て、私はとてもショックだった。1人の人の当時の姿だと言う。
そこで今回は、再度、私なりに把握しているこの問題の経過を書きたい。

                         

私が従軍慰安婦の存在を知ったのは30年以上前になる。
日本の軍隊だけがそうした慰安婦を連れ歩いていたこと、その慰安婦たちの毎日の生活がどの様なむごいものだったかを書いた本を数冊読み、驚きと悲しみで胸が塞がり、夜も眠られなくなったのを思い出す。(一夜に30人の相手をした後、急死した慰安婦もいたという)
かなりたってから、札幌の教会で名乗り出た一人の韓国人従軍慰安婦の証言を聞く会が開かれた時には、大学生の娘を連れて行き、本で知った事が本当だったと確認した。

一般的に加害者は、加害の事実を過小評価し、しかも簡単に忘れる。しかし、人権を踏みにじられた被害者は、そのことを絶対に忘れない。ましてや脅迫されて繰り返し集団で行われた性被害の被害者は、なおの事なのだ。
しかもさらに悲惨な事は、「賄い婦」とか「洗濯婦」にすると言ってだまされて戦線に連れて行かれた彼女たちは、儒教道徳を強く教え込まれている韓国社会に生まれ育ったがゆえに、終戦後、幸いに生き抜いて部隊から解放されても、自分がどんな生活をしていたかを語ることができず、故郷へ、親兄弟の元へは帰れなかったのだ。だから彼女たちの戦後の生活はほとんどが困窮を極め、社会の底辺で息を潜めて生きて来た。そしてその多くは既に亡くなった。

韓国の民主化の流れの中で、実名で隠し続けて来た過去を告白し、日本政府に「謝罪と賠償」を訴えたが、日本政府は「国として慰安婦を雇った事は無い。民間がやった事だ」の一点張りを通し続けた。
しかし、1993年、公文書が見つかった事によって国がした女性に対する重大な人権侵害だったと認めたのだった。
その後、「アジア女性基金」を予算化して、韓国、台湾、フィリピンの元従軍慰安婦に対し、政府機関を通して彼女たちに「償い金」を配布した。またオランダ、インドネシアに対しては、個人を特定できない事から政府機関を通して「償い金」を支払った。
しかし、当の女性たちの多くからは、誠意を持った「謝罪」が無いと受け取られ、「償い金」の受け取りを拒否されたため、未だにこの問題が解決していない国があるのだ。

今朝の新聞によると、玄葉外相は昨日の記者会見で「我が国の立場は一貫している。元慰安婦の補償問題は1965年の日韓の基本条約で解決済みだ」と繰り返している。
しかし、この時、韓国に払われた賠償金は元慰安婦の個々人には支払われていないのである。
日本国内でも幾つもの女性団体がソウルの集会に呼応する集会を開いている。私も加害国の女性の一人だが、彼女たちの訴えに強く共感している。
同時に、先に解任された元沖縄防衛局長の不適切発言に現れているような日本人男性の多くがまだ持つ前近代的な女性観を、女性の人権を尊重し、対等のパートナーだと見るように変えて行く事が、今強く求められているとも思っているのだ。

コメント (3)
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