この度9月17日から25日までの9日間、スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・モンテネグロのバルカン地方4カ国を旅して来た。
25日、フランクフルトから11時間15分、狭いエコノミー席で過ごして成田に着いたのは15時10分だった。私はさらに4時間近く成田で待って、19時発で新千歳空港まで戻ったので、帰宅したら22時になっていた。
長旅でやはり疲れたし、体が7時間の時差に慣れた所だったので、夜中に目が覚めたりして昨日は1日ボーッとしていた。
これから各国で見て来た主なものを思い出しながら記事にしたい。
まず今回訪れたバルカン地方3カ国の簡単な地図(写真①)である。この地図にないモンテネグロは、クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナの南に接して位置する国である。
①
いずれもイタリア半島とはアドリア海を挟んで東に位置し、1990年代初めまではユーゴスラビア共和国の1部だったらしいが、ユーゴスラビアが崩壊後、1991年から94年辺りまでの内戦を経て独立した国々なのである。内戦により国境近くにはまだ地雷が残っていて、各国政府がいまだ除去に努めていると聞くが、今は落ち着いていた。
日本からの直行便はないので、この地方の情報は少ないが、クロアチアはサッカーワールドカップで日本に馴染みとなり徐々に知られるようになったのではないだろうか。
旅行中、私たちのグループは日本人グループ1つと出会ったが、他は皆ヨーロッパからの観光客だった。
なお外務省渡航情報によると、クロアチアへの日本からの渡航者は2003年16,000人だったが、2005年には33,000人と大幅に増えているそうだ。
私たちは17日、全日空機で成田から12時間20分飛んでまずパリに行き、そこでアドリアエアーウエイズに乗り換えて1時間45分飛び、スロベニアの首都リュブリャナに下りた。
さらにバスに乗り換えて1時間かけて地方都市ブレッドに着いたのは夜中の1時過ぎだった。(現地は夏時間で日本との時差は7時間)
翌朝、6時半起床。朝方雨が降ったが、食事を7時に取ってから30分ほどホテル周辺と湖畔を散策した。
オーストリアとの国境に近い町ブレッドの中心は、美しいブレッド湖だ。ここは古くからハプスブルグ家のリゾート地だったと言う。
湖に浮かぶ小さなブレッド島に建つ聖母マリア教会と向こう岸の断崖に聳えるブレッド城が、朝もやに浮かんで絵のような幻想的な美しさを見せていた。
②ホテルの部屋から見た美しい家並み ③朝もやに霞むブレッド城と聖母マリア教会
② ③
私たちはスーツケースをバスに積み込み、8時半に最初のブレッド観光に出発した。
湖と周辺の環境を保全するためにガソリンを使う船は認められていないため、湖畔からは手漕ぎボート④でブレッド島の教会に行った。湖畔から99段の石段を登ると小さな教会があった。その鐘楼の鐘⑤を鳴らすと幸せになるという言い伝えがあるそうで、皆交代で祭壇の前に下がっているロープを力一杯3回引いた。⑥
④ ⑤
⑥
手漕ぎボートで島から戻り、バスでブレッド城に行った。
11世紀に建てられたという古城には、今、レストラン、ワインケラー、博物館、グーテンベルグが15世紀に発明した金属製の活版印刷機による印刷屋などが入っていた。印刷屋では、色付き厚紙に日付・名前入りで城の絵柄が入った見学記念カードなどを印刷作成して1000円程で売っていて、何人かが注文していた。
晴れた日に見える裏手からの展望が素晴らしいそうだが、丁度雨後のもやがかかっていて残念だった。⑦⑧
⑦ ⑧
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読んでくださってありがとう。
窮屈な座席に長時間座ったからこそ行ける場所だけに、今回の旅も満足できましたよ。
これからも見てください。
コスモさん、ただ今!
何回か連載しますので、宜しく。
あばたさん、ただ今!
私も政情不安な国なのでずっと行けないと思っていたから、今までは余り知識がありませんでした。
でも行って見てびっくり。ヨーロッパの人達に人気があるのが良く分かりました。
昔は男に生まれたら大臣か王様、女なら女王かお姫様にならないと駄目だと感じますが、現代に生まれて良かったです。 "^_^"
次からも読んでくださいね。