花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

菜の花が咲く中国雲南省の旅 (7)

2009年03月06日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省

5日目の朝、人口600万人、標高1900mの雲南省の省都・昆明のホテルを北の麗江に行くために7時に出発し、市内を通り、空港に向った。
その途中、バスの窓越しに見た朝の街角の風景を撮影した。

自転車に乗っているのはほとんどが若い学生だ。車輪のサイズが小さい自転車が目立った。大人はスクーターやバイクに乗っている人が多い。車も結構走っていて、日本車もあった。
バス停で待っている人の後ろに、大きな広告がある。携帯電話や清涼飲料水の広告の中に、バスには1列に並んで乗ろうというマナーを呼びかける宣伝もある。
道路に向って張った青いテントが点在していて、中で警察が監視しているが、彼らに緊張感は感じられない。居眠りをしていたり、下を向いていたり‥。オレンジ色の制服姿で掃除をしている人もいる。
多くの建物は5~6階建てで、1階は店になっている。アパートの窓の多くは、何故か鉄棒でカバーされていた。

   

   

   

バスは、空港へ行く幹線道路の途中、トイレ休憩のために道端のあるガソリンスタンドに立ち寄った。
先に行った男性達が、「とても汚くて入れない。」と言いながらバスに戻って来た。
そこで私は、急いでカメラを持って女性用のトイレを覗きに行った。
個室間の仕切りはあるが、入り口、個室共ドアは無いので難なく写真を撮れた。
しかし、本当にそのあまりの凄まじさに唖然とすると共に、これが女性のトイレかと思うと悲しくなった。どうして誰も掃除をしないのか、不思議だった。
このトイレ、今回の旅行中最悪のトイレだったので、皆、空港まで我慢したようだった。
(ついでに虎跳峡のレストランの外トイレの写真を載せる。綺麗だが、伝統的なニーハオトイレだった)

 

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菜の花が咲く中国雲南省の旅 (6)

2009年03月06日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省

4日目の昼、昆明市内に戻って、午後から市民の憩いの場、「大観楼公園」を見た。
ユリカモメが遊ぶ大きな池の一部に、色鮮やかな黄色い龍が浮かべてあったのを見て、日本人とは異なる中国人の美的感性に驚いた。(写真下、門の奥の池に作り物の黄龍が見える)
少し離れた場所では、思い思いに木陰でのんびりと麻雀や碁、トランプに興じる男女の姿もあった。

    

 
 
その後、昆明の西の郊外15kmの所にある「西山森林公園」に向った。
下からリフトで標高2280mあるという山の中腹まで上がり、そこから山肌の絶壁に作られた狭く急な階段を下りながら、長い年月をかけて作られたという幾つかの石窟寺院を見た。特に色彩豊かな道教の寺院が印象に残った。

  




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菜の花が咲く中国雲南省の旅 (5)

2009年03月05日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省

3日目は羅平周辺の自然公園・「九龍瀑布」や少数民族プイ(布依)族の村などを見学した。

この日は朝、プイ族の女性が特別ガイドとしてバスに乗り、彼女が1日ガイド役をしてくれた。
プイ族はこの辺りに4万人が住み、独自の文字は無く、農業や刺繍で生活しているのだそうだ。
年に1度、若い男女が合宿し、歌や踊りをして適当な相手を見つけるのだという。昔の日本にもあった「歌垣」に似た風習が、プイ族は今でもあるらしい。
22歳で独身だというそのガイドは、「自分は普通に恋人を見つけた。」と言っていた。

「九龍瀑布」では、先ず山の中腹までケーブルカーで上り、そこから500段程の石段を下りながら、龍が昇るように見える滝の景観を眺めるのだ。展望台から見た滝も、菜の花畑も美しかった。
駐車場に戻る道端で、女性達が小ぶりの大根や果物などを売っていた。その大根は甘みが強いらしかった。私がカメラを向けると、爽やかな笑顔を作ってくれた。

      
 
 

その後、200人程が暮らす「プイ族の部落」に案内された。
民家以外に、小さなホテルを経営している様な家もあった。民家は、どの家もバラック作りで貧しく見えた。
女性が外の盥で洗濯をしていた。アヒルや水牛、豚などを飼っている家もあった。
ガイドは「この部落では、多くの男は炭鉱や町へ出稼ぎに行き、女は農業をしています。」と説明した。

公衆トイレが2つあったので、その1つを覗いて見た。
男女の入り口は分けられていて仕切られていたが、入り口にドアは無く、それぞれ7㎡程の仕切りの無い空間に15cm幅程の細長い溝が2本開けてあった。人間の排泄物は、溝からすぐ裏に作られた池に滑り落ちる様に溝に傾斜がついていた。池には黒い鵜が1羽いたから、多分、飼っている魚を捕まえさせるのだろうと私は想像した。
淀んでいる池の中は見えなかったので、今でもそこで魚を育てているかどうかは分からなかったが、正に天然の有機物をリサイクルする古来からの仕掛けである事は確かだった。
このトイレは、多分、部落の人たちが共同で使うトイレなのだろうと思った。

許可を得た1軒の家の庭に入った。中年の女性が「兎に角、貧乏な生活です。」と私たちに話した。
庭先の小屋を見ると、豚が4頭飼育されていた。多分、育てて売るのだろう。
ある人が、開いていた家の中を見ようとしたら、「家の中は見ないで下さい。」と言われていた。
最後にガイドが、「お礼にお菓子か飴があったら上げて下さい。」と言った。その場で急に言われたので、何も持ち合わせが無い私は、皆の1番最後にそっとお金と、家から作って持って行った織り鶴を手渡した。

出発前に読んだ本に、『かって少数民族は長江の北側で暮らしていたが、勢力の大きい民族に徐々に南へ追いやられて、雲南省に集まった』と書かれていたのを思い出した。

    

  

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菜の花が咲く中国雲南省の旅 (4)

2009年03月04日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省

石林を観光した日の午後、バスは更に昆明よりずっと東部の羅平に向った。
今のシーズンだけ菜の花畑がある農村地帯を観光するためだ。
(羅平の菜の花観光は数冊のガイドブックを探しても出ていなかった。菜種を栽培する様になって、まだ間もないのかも知れない)
3時間走る間、車窓からは鉄分が多く含まれる赤土の大地が延々と続くのが見えた。

「イ族」の村を通った。所々に独特な墓が見られた。全て土葬だ。
イ族は、死後も魂と肉体が離れない土葬が一番だと信じているそうだ。

畑では、小麦、菜種、豌豆、稲などが初夏の陽射しを受けて青々と育っていた。見ると鍬を振り下ろしながら広い農地を耕す農民達の姿があった。どこにもトラクターの様な機械は見当たらない。この辺りの中国の農民は、今でも自分の体一つで農業を営んでいるのだろう。
ガイドの話では、中国の土地は全てが国の所有で、農民は借りて耕作するのだが、死ぬと返す仕組みになっているという。今では農民が年間5元(日本円で75円)を負担すると、国が同額を負担してくれる健康保険制度もあるそうだ。

途中に炭鉱もあって、掘り出された泥炭状の石炭が野積みされていた。
ほとんどの炭鉱は個人の所有なのだそうだ。(現在の中国の会社は、1/3が国営で、 2/3が個人経営だと説明された)
炭鉱では事故が多いが、わいろが横行していて、安全管理が軽視されているとガイドが話してくれた。

いよいよ羅平に近づくと、一面に広がる真黄色い菜の花畑が目に飛び込んで来た。
私が予想していた菜の花畑は、羅平の一部だけだと思っていたが、そうではなかった。
行けども行けども、今まさに満開の菜の花畑が続いていた。小高い山の斜面にも、菜の花の段々畑が所狭しと作られているのだ。

ガイドの説明では、10月から11月に菜種の種を蒔き、今が菜の花の時期で、3月下旬から4月には菜種を収穫して菜種油の製造元に出すのだ。収穫後の畑にはタバコを植え、その葉を秋に収穫するという。
菜の花とタバコを交互に栽培している農家は、年間60万円位の収入があり、一般より豊からしい。

道路脇には、テントを張って蜂蜜を売っている人たちが沢山いた。
テントの後ろには蜂の巣箱が並べてあり、蜜蜂が飛び交っている。彼らは菜の花の咲く時期に巣箱を持って移住し、蜂に蜜を吸わせて、その場で手作業で蜂蜜を採取し、瓶に詰めて売っているのだった。
ガイドは、清潔安全を考えたら、専門店の蜂蜜を買ったほうが良いと言ったので、私たちは店の前を素通りした。
よく見ると、テントの中で寝泊りしている家族も多く、幼児が寝ているテントもあった。
観光客が多く立ち寄る景色の良い場所では、ゆで卵や砂糖きび、パイナップルなどを売る中年の女性の姿も多く見られた。

その日のホテルの夕食には、菜の花の炒め物とチャーハンが出た。花の部分は除いてあるが、綺麗な緑色の茎の料理に元気が出そうな気がした。

 

  

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菜の花が咲く中国雲南省の旅 (3)

2009年03月03日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省

最初の観光は、昆明の南東82kmのところにあり、2004年にユネスコの世界地質遺産に指定された「石林」から始まった。
昆明自体が標高1800mの高原にあるためか、バスに乗っていると陽射しは強いが気温は22度前後と春の陽気だ。現地ガイドの話では、気候は1年中こうなのだと言う。
石林に向けてバスが走った道路は、ベトナム迄続く2003年に完成した高速道路だった。
所々に白い花や赤い花を咲かせた木がある。聞くと白は梨の木で、赤は梅の木だという。

石林は、2億8千万年前の大昔に海底が隆起した後、長い間、風雨にさらされ、侵食、風化されて現在の様な400k㎡にも及ぶ広大で独特なカルスト地形ができたのだそうだ。
昆明周辺の標高を考えると、当時の隆起状況はさぞかしすざまじかっただろうと想像した。
(石灰質が融けているためだろうが、私が今回泊まった雲南省のホテルの水はどこも硬水らしく石鹸が溶けにくかった。また飲料水は毎日1本配られたミネラルウオーターを飲んだ)

石林に行って見ると、先が鋭く尖った巨石がぎっしりと連なり、それが林の状態になっていて驚いた。
中には地震で崩れ落ちた石や途中で引っかかった様な危なげな石もあった。
所々に咲くブーゲンビリアの花が、無機質な石に命を与えているかに思えた。
通路は狭い迷路の様になっていたが、ガイドの誘導で主な見学場所を効率良く観光した。私達以外の日本人の姿は見えなかった。

石林のあちこちに人目を引く民族衣装で着飾った少数民族・サニ族の女性たちが居た。若い女性たちは、一緒に写真撮影を望む観光客からお金を取っていた。
広場では中高年のサニ族の男女が、フォークダンスの様な民族舞踊を繰り返しして見せていた。空気が薄い場所柄、何度もダンスをするのは大変だろうと思ったが、「石林」は彼らの貴重な収入の場になっているようだった。






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菜の花が咲く中国雲南省の旅 (2)

2009年03月02日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省

帰りも予定通りには行かなかった。

27日、全ての日程を終えて雲南省北部の都市・麗江から省都・昆明に戻る国内便に乗るため、麗江空港に行った。
所が12時過ぎに飛ぶ筈の飛行機が、北の悪天候により到着しないのだ。
急遽航空会社は、搭乗手続きを済ませた旅客に昼の弁当を出した。
結局、やっと遅れて到着した飛行機が4時間近くの遅れで離陸したため、夕刻に着いた昆明で夕食を取ることになった。
昆明からは予定とは違う遅い北京行きに乗り、やっと北京に戻った時は既に28日になっていた。

待機していたバスで空港からホテルに着いたのは、真夜中の1時半。荷物の整理をして寝たのは2時半。
モーニングコールは4時50分だったから、寝られたのは僅か2時間程度だった。
ホテル出発が5時半だったから仕方がないのだが、とても良いホテルだったので、僅か4時間だけの滞在は実に残念だった。

北京発新千歳空港行きは、時間通り北京空港を8時15分に離陸した。

3時間後、上空から見た北日本は晴天で、飛行機は予定より早く、日本時間の12時25分に到着してくれた。
時計を1時間早めて飛行機を降り、スーツケースを受け取り、トラブル中、活躍してくれた添乗員と友人達に別れて帰宅した。

今回の旅行では流石に疲れたため、その夜は12時間も寝てしまった。
そんな訳で、冬場の旅行は天候異変の影響を特に受けやすいという事を、体験的に知る旅行となった。



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菜の花が咲く中国雲南省の旅 (1)

2009年03月01日 | 海外旅行「中国Ⅰ」四川省・雲南省

ただ今!昨日、無事に帰国したが、今回の旅については、先ず出発した21日の状況から報告したい。

前日から大雪が続いていたので、私は早めに起きて先ず玄関前の除雪をした。
何時もならJR駅迄徒歩で行く所なのだが、その日は道路が除雪されていないのでスーツケースを持って歩けない。そこで予定より早めの10時にタクシーを呼んだ。
すると運転手が、「朝からJRは1本も動いていないので、空港に行くならこのまま真っ直ぐ向った方が良いのでは。」と言う。
私は2万円以上もかかるかも知れないタクシー代は余分に持ち合わせていなかったし、悩んだ挙句、思い切って駅で降ろして貰った。
するとやはりJRは、まだ上下共、1本も動いていないという。

しかし20分もすると「除雪が済んだので、空港行き『快速エアポート』が、各駅停車で札幌駅を出る」という駅内放送があった。
何てラッキーなのだろうか。その列車を待って、空港に無事に到着できた。

札幌から高速バスで来る予定だった友人は、高速道路が閉鎖されたため、急遽動き出したJRに乗り変えて、私より大分送れて駆けつけて来た。
(という事は、私がもしもタクシーで空港に向ったとしても、時間はかなりかかった事だろうと思った。)
遠方地域からの参加者は、前日から札幌に来ていたらしく、添乗員に聞くと全員無事に集合できたという。

新千歳空港では、出国手続きを済ませ、搭乗口の待合室で待機した。
所が2時間以上遅れていた台北行きの飛行機が欠航を決めたという放送があり、多くの人がガッカリしながら出て行った。残った私たちも、不安な気持ちで待機し続けた。
すると私たちの乗る中国国際航空機は、雪が止んだ3時間後、北京に向けて17時に飛んでくれたのだ。
これが2つ目のラッキーになった。

3時間半後、広大な北京空港に着くと係員がつきっきりで誘導してくれ、入国審査、荷物受け取り、国内線への移動(これが長距離で大変だった)、改めて荷物預け、搭乗安全審査と全てを30分程でこなし、本来なら間に合わない筈の雲南省の省都・昆明行きの国内線にやっと搭乗することができた。
これは3つ目のラッキーだった。

昆明に着陸した時刻は、日本とは時差1時間の現地時間22日1時になっていた。何と家を出てから16時間が経っていた。
ホテルに着いてベットに横になれたのは2時半頃。正直疲れ果てたが、3つのラッキーが重なって気分は幸せだった。

 (写真①雪が止んだ滑走路の除雪風景 ②北京空港ではシャトルに5分間乗って、国際線から国内線に移動する ③真夜中の昆明空港荷物受け取り場。世界遺産の大きな写真が掲げられていた)

 ② ③


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