佐賀県在住の農民作家山下惣一さんの著書「野に誌す」を知ったのは朝日
ジャーナルの紹介記事でだった。
当時、農業とは無縁の世界で暮らしていたが、「異色の農民作家」の存在を
知り心酔してしまった。
私は「もう一度読んでみたい本」には日付を記載しているが「野に誌す」
の本の末尾には1973.11.27とあった。
就農後は農業新聞のコラムや最近の著書で山下さんの近況等を知る機会が
あったが、高齢になっても「尖って生きている」ことが嬉しかった。
その中で、ミカンの大暴落で「苦労して開墾したミカン山が荒れ放題となり
元の山に戻ってしまった」ことを知り「国の方針に安易に従ってはならない」
と肝に銘ずると共に、拡大途上にある我が家の耕地を「山に戻してはならな
い」と決意を新たにしたのだった。
そんな山下さんの逝去を知ったのは朝日新聞「天声人語」(2022.7.15)で
だったので、その全文を紹介したい。
農作業を終え、家族が寝静まった後、太宰治やドストエフスキーを読み、
村に思いをめぐらせる。きのう葬儀が営まれた農民作家山下惣一さんはそんな
時間を愛した。
「普通の言葉であれだけ深いことを語る百姓はいませんでした」。山下さん
と半世紀にわたって農を論じ合ってきた「農と自然の研究所」代表、宇根豊さ
ん(72)は話す。
山下さんは佐賀県唐津市出身。中学卒業後、父に反発し、2回も家出を試み
る。それでも農家を継ぎ、村の近代化を夢見た。減反政策に応じ、ミカン栽培
に乗り出すが、生産過剰で暴落する。「国の政策を信じた自分が愚かだった。
百姓失格」と記した。
「農の問題は近代化では解決しない、近代化されないものだけが未来に残る
と山下さんは気づいた」。そう宇根さんは話す。日本農業の成長産業化が叫ば
れる昨今だが、「日本農業などというものはない」というのが山下さんの持論
だった。あるのは目の前の田畑、山、家族、村。そこには近代化や市場経済と
本質的になじまない価値がある、と。
直木賞候補とされた小説『減反神社』は政策に翻弄(ほんろう)される農家
を描く。「あちこちの村に一筋縄ではいかない、したたかで理屈っぽい百姓を
繁殖させるのが僕の夢」(『北の農民 南の農民』)とも記した。
取材した場所は福岡県糸島市にある宇根さんの田んぼのあぜ。青々とした水
田をトンボが舞い、道端ではカナヘビがじっと動かない。「田んぼの思想家」
をめぐる思い出話は、尽きなかった。