籾摺りを終え30kg単位に袋詰めされた玄米は、庭先に有る穀物倉庫まで軽トラで運んで保管する。
重機が未だ一般化していなかった45年前、二人の人夫が人力のみで建設した石倉は、外気温に
左右されないことから、本来は穀物保管用の倉庫として活用すべきものだった。
しかし、ジイチャンの時代は、米は収獲すると直ぐに農協に出荷するため保管すべき穀物は無く、
ずっと「単なる倉庫」でしかなかった。
無用の長物とも思われた石倉が、時代が変わって本来の用途である米、麦、大豆等の穀物保管庫
として大活躍するようになった。
ジイチャンは「石倉は、必要があった訳ではなく見栄で作った」と謙遜していたが、実は
「半世紀後を見据えた布石」だったのかもしれない。