実家は赤荻の要津院の檀家となっている。
幼い頃、各家庭からお寺まで葬列を組むお葬式が殆どだった。
田圃の中の農道を通りお寺の長い坂道を登ってから本堂前の広場で三周する
様子を何度も目にしたものだった。
高度経済成長期に檀家が急増し、半世紀以上も経て坂道や駐車場は勿論の
こと本堂や庭も立派に整備され、本堂前だけだった墓地も、隣接する林に
従来の数倍にもなる新たな墓地が完成し、実家の父もその奥で眠っている。
御年96歳になる母の旧姓は阿部で、9人兄弟の一番上だった。
二人の弟は既に逝去しているが、直ぐ下の妹の市野々と中里の叔母は健在で
90歳目前となっている。
82歳になる次男の多賀城の叔父も健在なことから、市野々の叔母は機会
あるたびに「高齢者四人で記念写真を撮りたい」と願っていたが、コロナ騒ぎ
で叶わないままとなっている。
ところが、最近になって叔父の腰痛が酷くなり「立ち上がれない状態で入院
した」との一報が入り驚いた。
頑健な肉体を誇っていて何度か庭木の剪定や農作業を手伝ってくれた叔父
だったが、コロナ騒ぎでお見舞いに行くことも出来ないままとなっている。
阿部家のお墓で天国の祖父母に「叔父をお守りください」とお願いするしか
なかった。