この本は早川文庫の巻末の広告にも出ているのに本屋で見かけない。インターネットで見ると「入手不可能」になっている。
1970年のエドガー賞受賞作であるのになぜか絶版状態らしい。そこで正月に原文で読んだ。「Forfeit」というのが原題だ。ハヤカワのどの作品でも感じるのだが、フランシスのタイトルは翻訳者のバイアスなのか、どうなのかなと思うものが多いことはこれまでにも述べた。
Forfeitも罰金というよりかも没収と訳すべきではないかと思うが、これもイギリスの競馬制度の知識がないとはっきりしたことは言えない。というのは、この小説の主題は競馬の前売りをめぐる不正行為で、イギリスでは出走予定馬(登録馬)が出走を取り消しても、賭け屋はその馬に賭けた客に馬券の払い戻しをする義務がないことを悪用したものだからである。
先に紹介した原田俊治氏の解説でも前売り制度のことは書いてないのでわからない。小説にも日本の司馬遼太郎と違っていちいち長たらしい注釈を入れていないから見当をつけて読むしかない。
どうも供託金というか登録料というのを馬主が納めていて出走を取り消した場合は、それを没収されるという制度らしい。そして賭け屋には何のペナルティもかからない。
前売りは何週間も前から行われて賭け率は毎日変化する。もちろん賭け屋(ブックメーカー)によって全部違う。大きなレースだと一般紙にも毎日主な賭け屋のオッズが出る。ただしフランシスの小説は1968年である。
たしか、ドイツなど一部の欧州の国では同様に前売りがあるらしい。これも私の80年代ころの見聞で現在もあるかどうかは確認していない。アメリカには前売りという制度はないようだ。
早川文庫の絶版の理由は、前売り制度についての誤解があった不都合があったのではなかろうか。翻訳者も死亡しているし、新翻訳者で新しいのがでるかどうかだ。
& さてさて容易に推測できるようにイギリスの制度は大甘でいかようにでも悪用できる。競馬の先進国なのに不思議なことだ。多分監査制度とか競馬の運営制度がしっかりしているのだろうか。この小説でも監査側の色々な機構が出てくるがそれほどかっちりとしているようには見えない。
とすると、アマチュア精神の模範みたいな紳士の国の競馬だから、こすからく悪用しようとする人がいないのだろうか。とにかく不思議である。
小説で悪徳賭け屋、これも紳士の国のイギリス人にしてはいけないというのだろうか、南アフリカ人という設定だ。彼は新聞記者を抱き込む。イギリスの競馬記者だ。そして出走を取り消させる馬をあらかじめ決めて、記者にその馬のいい情報をどんどん書かせる。賭け屋のオッズは毎日上がる。その馬の馬券を買う客はどんどん増える。
そこでレース前にその馬の持ち主に圧力をかけて馬の出走を取り消させるというわけ。圧力をかけるのが調教師ではなくて馬主というところもなるほどな、である。
調教師もレースへの出走を取り消す力はあるだろうが、明らかに何も問題のない馬を取り消していては免許を取り上げられてメシの食い上げである。いくらなんでも協力しない。
馬主は趣味でやっているわけだから、儲ける時もあれば損をすることもある。イギリスでも競馬に持ち馬を出走できるためには競馬運営者の審査が必要だが、もともと趣味でやっているから馬主の資格をはく奪されても調教師のように生活の死活問題にはならない。
そこで馬主に圧力をかけるわけだ。話としては破綻がない。
& 2月6日
最近日本語Wikipediaで「ブックメーカー」の記事があるのを見つけました。簡にして要を得ています。