穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

不自然さについて

2010-01-22 22:48:45 | ミステリー書評

アンチ・リアリズムの試み;

一応ミステリーに限ってみよう。なに、小説全般に広げてもいいのだが、行きがかり上ミステリー限定。

いまではハードボイルドと言われている動きが出てきたときに、リアリズムということが言われた。それまで全盛だったいわゆる本格推理小説の不自然な犯罪(主として殺人方法)についての議論である。

密室だとか、突拍子もない凶器だとかね。だからハードボイルドの殺人方法は簡単だ。殴り殺すか、絞め殺すか拳銃で撃ち殺すか。あるいはまれにアイスピックで刺し殺すか。これが文化の違いだね。日本だと断然刃物なんだがアメリカじゃ拳銃だ。そんなところだ。

しかし、不自然なところがなければ小説なんか成り立たない。異化といってもいい。この言葉が好きなら。異化というのは受動的な意味だけはなくて能動的な意味もある。

ハードボイルドで不自然なのは動機である。不自然と言うか弱いなと思うのは。それまでテンポが良くても最後の謎解きになると俄然もたつくのがハードボイルド。

だからハードボイルドの名手は最後はあっさりと行く。やたらにひねらない。どんでん、どんでんといかない。チャンドラーなんかがいい例だ。

後、ハードボイルド、タフガイもので不自然なのは主人公がやたらとタフなこと。金槌で滅多打ちにされても1時間後には、たたかれる前より元気になって大酒を喰らい、走り回り、女にちょっかいを出すこと。これをやりすぎるとしらけるが、大体興行的には成功するようだ。

ようするに、不自然さをどこに持ってくるかだ。冒頭に持ってくる本格ミステリー、結末に持ってくるハードボイルド。中盤に持ってくる冒険小説とハードボイルド。


デイック・フランシスのたくらみ、敵手

2010-01-22 08:17:57 | ミステリー書評

シッド・ハレーものである。これで四作全部読んだことになる。結論からいうと駄作である。シッド・ハレーものとしてだけでなくて彼の著作としても。もっとも数冊しか読んでいないわけであるが。

まず、小物からいこう。アナログ携帯電話からデジタル携帯電話へ、である。フランシス氏の注釈がある。1995年もの、著者75歳。

彼の独創ではないのだろうが、構成がちょっと変わっている。最初に犯人が分かっている。倒叙ものかな、と思うとそうでもない。マンハントもの的な面もある。連続動物虐待事件もの、フランシスだから当然馬が傷つけられる。

倒叙ふうが前半、犯人はシッドの親友、したがってこれはハードボイルドなどに多い友情ものであるが成功しているとは言い難い。

さて、その友人が、シッドの調査の結果、告発されて裁判になろうというときに、またまた馬を残酷に傷つける事件が発生。しかも犯人に擬せられたエリスには鉄壁のアリバイ。

さてさて、真相はということなのだが、まずこのフランシスのたくらみにそって、叙述が成功していない。もたつく。もたつかせて時間をかせぐ(ページ数をかせぐ)のはサスペンスの常道だが、読者を退屈させてはいけない。文字通りもたつくのである。

構成についての破綻のほかに、多数の個所で意味不明、意味を取りかねるところがある。とても意図的にした意味のあるものとは思えない。75歳のスランプか。

この点については翻訳者の問題なのかもしれない。原文と対照していなから断言はできないが。

全くの憶測だが、フランシス自身、加齢による筆の衰えがあったのではないか。その後見事に回復しているがこれは老人にはよくあること。それにその後は息子さんの協力があったようだが、このころは一人で書いていた時期ではないか。

家庭では夫人が亡くなる前で個人的な悩み(たとえば家庭内介護)があったのかもしれない。大体その時期にあたるようだ。

翻訳者についていえば、2000年に亡くなっているそうで、やはり老齢の問題、あるいは病気の問題があったのかもしれない。この辺は1995年前後の別の作品を読み比べるとなにかわかるかもしれない。

部分的にはテンポのいいフランシスらしいところもあるが、全体的にみるとどうもいけない。

このハレーものの、もう一つの特徴は他の作品に比べて前妻ジェニーがほとんど出てこない。義父のチャールスの登場も少ない。ほかのシッド・ハレーものでもこの二人は筋にはほとんど関係しないのだが一つのアクセントになっているが、どういうわけか「敵手」では御両人のお出ましがすくないのだ。

ずいぶん長く書いたね。まずい作品の解説と言うのは長くなりがちのようだ。

&& そのうえに蛇足を重ねる。

* この小説はアメリカ探偵作家クラブ賞を受賞しているのだね。そうすると翻訳のほうにかなり問題があるのかな。

* ディック・フランシスにとって日本の読者は大得意らしい。日本マーケットへのサービスもある。ただし、この小説を最後まで読まないと出てこない。

* フランシスの小説では動機にかなり不自然と言うか無理というか、そういうものが多い。もとリーディング・ジョッキーで現在は全国テレビ番組の人気司会者が馬の脚を切るスリルに抗しきれないというのは、それだけポッと出されれば、「なんだい、それ」と言うことになる。