穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ヒロイン

2012-11-11 09:24:25 | 書評
今回もハイスミス「11の物語」。ヒロインという短編はハイスミスの原点と誰でも認めているらしい。

ヘルプの話だ。今は女中と書くと怖い男が出てくるらしいからね。お手伝いというのかな。

新入りのヘルプは子供にも好かれ、両親の評判もいい。彼女はもっと褒められたくて雇い主に給料が多すぎると賃金カット申し出るが雇い主は応じない。それならと家に放火する。猛火の中から献身的に子供たちを救出すれば両親はもっと褒めてくれるだろうと思ったわけだ。

この短絡ぶりは田中眞紀子を思わせるね。どっちもサイコと思わなければ理解不能な言動だ。






スッポン

2012-11-11 09:13:51 | 書評
ハヤカワ文庫のハイスミス「11の物語」、前にも書いたようにまだ全部読んでいないが、もう一つ書いちゃえ。日曜日だし、競馬に行くには金がなし。まとめ書きだ。

今まで読んだうちではスッポンとヒロインが面白かった。

スッポンは母子家庭で母親がかわいがっているつもりなのが少年には虐待としか受け取れない家庭。生きたスッポンを料理のために熱湯に放り込む母を見て切れる。包丁で母を刺し殺すという話。

東欧からの移民の家族らしい。向こうでは家で生きたスッポンを魚屋?から買ってきて家庭で料理するらしい。それが珍しかったね。スッポンに噛みつかれないのかな。すごくおとなしい動物らしい。少年はペットにしたかったらしい。また近所の子供に見せびらかしたかった。

それを母親が冷蔵庫に入れたり、あげくには沸騰する湯のなかに放り込んだりする。日本でも何処かの地方ではこういう家庭料理があるのかな。




「罪と罰」と「見知らぬ乗客」

2012-11-11 08:43:14 | ミステリー書評
ドストエフスキーの「罪と罰」は三部で構成される。別に文庫本で上中下に分かれているからという訳ではない。内容的にである。すなわち、犯行計画、犯行を正当化するまでの心理的葛藤が第一部、第二部が高利貸しの婆さんの殺害、第三部がラスコリニコフの心理的葛藤、錯乱、そして検察との駆け引き。最後は罪を認めてサバサバする(この表現はもっとうまい言い方がありそうだが)。

ハイスミスの見知らぬ乗客も構成上はまったく同じ、ドストの愛読者だったハイスミスは当然踏襲した者と思われる。第一部は交換殺人のアイデアをサイコがたまたま汽車で乗り合わせた常識的、受動的な相手に持ちかける。勿論談合がまとまる訳が無い。一方的に暗示をかけたわけだ。

第二部はサイコ(ブルーノー、あいてのガイに同性愛的執着を持つ)が一方的に離婚協議中の相手の妻を殺害する。そしてガイに自分の父親を殺害するようにストーカー的につきまとい、相手を追い込む。受動的なガイはついにブルーノーの計画を指示通り実行する。

第三部は殺されたブルーノーの父親の会社の探偵が活動を始め二人にたどり着く。

第四部あるいは第三部終末はガイが切羽詰まって殺された妻のボーイフレンドに告白に行く(いささか説得力に弱い展開)、そして相手に信用してもらえないが、こっそりつけたきた探偵に告白をきかれてしまう、という結末である。

さて各部の出来映えはというに、第一部は並、第二部はやや良し、第三部は退屈というところか。

叙述は三人称複数視点だが、ガイのモノローグ的なところが多い。これはブルーノーのモノローグを多用した方が効果的ではなかったか。常識的なガイの内的対話を書いてもあまり面白いものにはならない。

このプロットではサイコのブルーノーをどれだけ活写できるかが出来映えの鍵である。その点ではガイに比重を置きすぎた叙述が作品を退屈なものにしているのではないか。

余談であるが、冒頭の見知らぬ乗客の出会いなどドストの白痴冒頭を連想させる。確かに彼女の愛読書はドストであったと思わせるところが色々ある。

クライム・ノヴェル(サスペンスもミステリーもハードボイルドも含めてこれらの上位概念は犯罪小説ということになろうが)としては三部構成というのはどうなんだろう。少ないのではないか(素人考えである)。


大体犯行からはじまり、犯人を推理して行くのが一つのパターン:推理小説、みすてりー、ハードボイルド、警察小説

計画から始まり犯行に至るのが、なんだろう、:サスペンス、ノワールの大部分、アクション、ホラー

こんなところかな、三部構成の『罪と罰」タイプはこういう分野の小説ではマイノリテイじゃないのかな。






ハイスミス「見知らぬ乗客」

2012-11-11 07:24:29 | ミステリー書評
角川文庫で表題作を読んだ。彼女の作品はこの間買った『11の物語』とこれをとりあえず読んだ。短編集の方は二、三読んだだけなので後で書きたい。なにしろよく知らない作家なので自分の備忘を兼ねて彼女についてメモをまとめた。

見知らぬ乗客は彼女の出版された最初の長編と言う(1950年)。29歳の時の作品。テーマは(アイデアはというべきかミステリーあるいはサスペンスなら)交換殺人。以下多くは本書の解説からの抜き書きである。文庫本の解説は下らない幼稚な文章が多いが、この解説は(新保博久氏)は簡潔で内容がある。

交換殺人というアイデアがこの本の前にあったかどうか分からないという。専門家の解説者が分からないというから下拙にも勿論分からない。しかし、交換殺人を有名にしたのはこの作品である。

すぐにヒッチコックが作品を購入して翌年映画化している。彼の初期の作品としては有名である。脚本は当時映画界でアルバイトをしていたレイモンド・チャンドラーが書いたが、ヒッチコックと意見が合わずチェツイ・オルモンドが完成させた。チャンドラーは「かわいい女」を書いた後、「長いお別れ」を出版する前の時機にあたる。

これが原因らしいがチャンドラーのヒッチコック嫌いは有名、「あの豚野郎」といっていた。また原作について「馬鹿馬鹿しいストーリー」と評していた。

次回書評を書くが彼女の作品を少し読んで男みたいな女性じゃないかと感じたのだが、インターネットで彼女の写真を見て納得。これぞ女丈夫という風貌であった(失礼)。


これも新保氏の解説だが、彼女は「アガサ・クリステイもコナン・ドイルも読んだことは無い。自分ではミステリーもサスペンス小説を書いているつもりはない」と言っているそうだ。その意気や壮というべきである。首肯できる。

wikipediaだったかの評ではドストエフスキーやポーを愛読していたとあったが、見知らぬ乗客はその構成は明らかに罪と罰を踏襲している。すなわち犯行計画が第一部、そして犯行と検察(探偵)との対決が続く。類似は構成だけであるが、以下次号。