穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

多崎つくる君こんにちは

2013-05-02 09:07:54 | 書評
おそろしく読みにくい小説だ。正確にいえば、読み進むうちに自ずから興が乗ってくる小説ではない。

ゴツゴツしていてしばしば読むに耐えない。しばらく経つんだがいまだに80ページあまり。短いしょうせつなので一気に読めるかな、と思ったが。

書評を書くと約束したので、一方では、あせる。べつにこんな約束など守る必要もないのだが、性分でどうも落ち着かないのだね。律儀な性分でね。で、とりあえず少し書く。

登場人物が多すぎる。各人のイントロが非印象的である。数ページ先で名前が再出しても、これはどういう人物だったかな、と忘れてしまっている。普通だと、途中でしばらく中断しても読み始めると、これまでの内容をすぐに思い出すのだが、この小説ではそれが難しい。

村上春樹の文章のスタイルはいくつかあるようだが、このスタイルは中編(長編とは言えない)では無理がある。料理で言えば筋だけ残っていて、身がない。

このような小説の各文章の前後に何行かの文章をサンドイッチの皮のように付け加えて初めて読むに耐えるようになる。IQ84のように。おまけにIQ84では登場人物もはるかに少ないので筋を追うのは容易である。

筋なし小説なのかな、筋なし小説もいいが、その場合には文章がいのちになるが、それがどうかな。いずれにせよ、村上春樹は名文家ではない。

彼の他の小説と同様、未消化な哲学論議がばらまかれているのも小骨が完全に取り除かれていない魚料理を食っているようである。カントだとか、ヘーゲルだとか、バタイユだとかに言及することで小説の質が上がっているとも思えない。むしろ危なっかしくなるようだ。

以上とりあえず87ページまでの書評です。

ご無礼の段は平にご容赦を、村上春樹殿