穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ドストエフスキーが行ったカラマーゾフの兄弟の続編予告

2013-08-03 14:32:24 | 書評
13年後のアリョーシャを主人公とした続編を予告していたことはよく知られている。カラマーゾフの序文で明確に述べられている。

一方、イワンについての続編を書きたいと述べていることに付いては意外に言及されることがない。カラマーゾフの兄弟の

第四部「兄イワン」で

引用はじめ> イワンの全生涯に影を落とすことになるこの新しい情熱について、今ここで話しはじめるわけにはいかない。これはすべて別の物語、別の長編小説の構想となりうべき話だが、今後何時の日か、その小説に取りかかることになるかどうかさえ分からない。 < 引用おわり 亀山訳第四巻283ページ。

両方とも作者の死亡で実現しなかったが、どちらもドストエフスキーにとっては難しい作業となっただろう。
なぜなら、まずアリョーシャについては彼の小説中、カラマーゾフで初めて登場するタイプであり、まだドストの手のうちに入っていない。彼を主人公とする物語はかなり難しい作業になっただろう。

一方、イワンの物語だが、これは実質的処女作ダブル(岩波文庫二重人格)のゴリャートキンにさかのぼる彼のもっとも執着のあるキャラである。しかし、世評は「貧しい人々」に比べて極めて低くその後も評価の出ることが無かった作品である。

彼は自分の気に入ったキャラを世間や評論家に受け入れられるように改善しようとして、晩年まで手を加えていたがついに完成しなかった。

之によって是を観るに、イワンの物語も評論家受けする作品にするのには苦労したに相違ない。カラマーゾフ第四巻「悪魔、イワンの悪夢」にその努力の片鱗が観られるが、ダブルのゴリャートキンにあった迫力はなく、世間に受け入れられようと努力したのか、説明的で無味乾燥したものになっている。