穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ロシアの点と線

2013-09-19 08:03:20 | 書評

 

19世紀後半のロシア鉄道事情を知っていれば、イワン・カラマーゾフ実行犯説を立証できるのだが。

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父親が殺された日の午前イワンは馬車で出発する。最寄りの鉄道の駅までは80キロで馬車で半日の行程と(明示はしていないが)前後の記述から推定される。イワンは鉄道駅から午後7時の列車でモスクワへ向かう。モスクワへの距離を推定させる記述はない。小説にはこう書いてある。<o:p></o:p>

 

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『汽車は走り、ようやくモスクワに入る明け方になって、彼はふとわれに返った』<o:p></o:p>

 

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之によって此れをみるに、モスクワとイワンが乗り込んだ駅との距離は列車で一晩の距離にあることになる。亀山郁夫氏の解説によるとこの町はモスクワから220キロにある町が想定されるとある。<o:p></o:p>

 

父親はその夜殺された。亀山氏の解説では午後10時ころ。したがってイワンのアリバイが成立する。残念でした。なぜ残念かって? ドストエフスキーはいたるところでイワン実行犯説の伏線をばらまいているからである。<o:p></o:p>

 

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「カラマーゾフの兄弟」も連載物だったらしい。いったん書いてしまうと直しがきかない。以上の記述は第二巻という比較的物語の早い段階である。ドストエフスキーの意図はどういうことだったのか。単に例によって、思わせぶりな、伏線もどきをまき散らしただけなのか。つまりヒントを回収する意図はなかったのか。あるいは後で「しまった」と思ったのか。<o:p></o:p>

 

次回以降「しまった」説を想定してドストエフスキーの意図と記述トリックをたどってみたい。<o:p></o:p>

 

松本清張時代とことなり、航空機もなく、特急もなく、複雑な鉄道網もないロシアではどうにもイワンのアリバイは崩せそうもない。<o:p></o:p>

 

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