穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

高校生相手に西田幾多郎の離れ業

2014-06-01 07:13:03 | 書評
『善の研究』第三編は『善』である。160ページから190ページあたりでわずか30ページで古今の倫理学説を紹介するという離れ業を演じている。

この書、とくに第三編は金沢の第四高等学校の授業がもとになっているそうだから、これでいいのかも知れない。勿論旧制高校で今の金沢大学教養課程に相当するのかな。

第三編第九章で、西田が一番評価しているのがアリストテレスのニコマコス倫理学であることが明らかになる。それに彼の分かりにくい純粋経験を絡めてくる訳だ。

西田の説は「もっとも深き自己の内面的要求の声は我々にとりて大いなる威力を有し、云々」また「善とは理想の実現、要求の満足であるとすれば云々」(190ページ)。

しかし、「もっとも深き自己の内面的要求」は当人にとっても分明でないことが普通ではないか。また「もっとも深き内面的要求」の実現がすべて善であるというのは現実的には「すべての行為を肯定する」非常に危険な考え方と言わなければならない。随所に本書で見られるが西田の端折った表現には随分と乱暴なところがある。高校生相手の授業だからかな。

「内面的要求」は「理想」を内包するのだろう、そうして両者はぴったりと重なる訳ではなかろう。その分別をどうするか、の基準は今後の章で出てくるのかどうか ?

ま、おいおい読み進めば、上記の説を補足、限定する箇所が出てくるのかも知れない。

以上ポジション・レポート 190ページ。