前回は彼の思想の背景には神秘体験があると述べた。
それと関連して、その他に、ドイツロマン主義や啓蒙思想(合理主義)の枠が有る。
また、カントが課した物自体不可知論の桎梏を必死で逃れようとしたドイツ観念哲学共通の特徴がある。
彼の青年時代の親友としてシェリングと詩人ヘルダーリンが有名である。シェリングには後思想的に批判的となるが。
青年時代は啓蒙思想に染まり、フランス革命に熱狂した学生時代であったらしい。彼の合理主義、理神論、ハッピーエンド思想には濃厚に痕跡を残している。
理神論は超越神を否定し、内在神的で彼岸を否定するところに至る。
カントは物自体は不可知だよ、というが青年達は到底そこまで諦観出来ない。以後の観念論はすべてなんとかカントの桎梏を逃れようと試みるあがきである。
フィヒテは主観、自我がすべてというオプション、シェリングは後期に至り宗教とか芸術で理屈なしに彼岸を知ることが出来るとしたためにヘーゲルから揶揄された。
カントの直系弟子を名乗るショーペンハウアーは「盲目的意志」なるものが物自体の正体であると遠慮がちに主張した。
E・ハルトマンはそれは「無意識」なんだよ、という具合。
ヘーゲルも物自体という分からない世界があるわけではない、というわけだ。彼の手品師みたいなロジックのラビリンスはそれをいいたいわけだ。
一番がっかりするのは、絶対精神が自己をフルに世界に開陳したあと、そこから先がないことである。ハッピーエンドのおとぎ話である。なんだか、すぐに認知症になりそうな感じである。
それと関連して、その他に、ドイツロマン主義や啓蒙思想(合理主義)の枠が有る。
また、カントが課した物自体不可知論の桎梏を必死で逃れようとしたドイツ観念哲学共通の特徴がある。
彼の青年時代の親友としてシェリングと詩人ヘルダーリンが有名である。シェリングには後思想的に批判的となるが。
青年時代は啓蒙思想に染まり、フランス革命に熱狂した学生時代であったらしい。彼の合理主義、理神論、ハッピーエンド思想には濃厚に痕跡を残している。
理神論は超越神を否定し、内在神的で彼岸を否定するところに至る。
カントは物自体は不可知だよ、というが青年達は到底そこまで諦観出来ない。以後の観念論はすべてなんとかカントの桎梏を逃れようと試みるあがきである。
フィヒテは主観、自我がすべてというオプション、シェリングは後期に至り宗教とか芸術で理屈なしに彼岸を知ることが出来るとしたためにヘーゲルから揶揄された。
カントの直系弟子を名乗るショーペンハウアーは「盲目的意志」なるものが物自体の正体であると遠慮がちに主張した。
E・ハルトマンはそれは「無意識」なんだよ、という具合。
ヘーゲルも物自体という分からない世界があるわけではない、というわけだ。彼の手品師みたいなロジックのラビリンスはそれをいいたいわけだ。
一番がっかりするのは、絶対精神が自己をフルに世界に開陳したあと、そこから先がないことである。ハッピーエンドのおとぎ話である。なんだか、すぐに認知症になりそうな感じである。