穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

思弁心理学の要件

2014-06-05 19:57:35 | 書評
西田幾多郎「善の研究」。著者が分かりにくいから最後に読め、と親切にアドバイスしていた第一編「純粋経験」を拾い読み。これは心理学だね。実証的ではない、思弁的だ。だが書き方は当時の心理学を下敷きにしているふうな書き方である。しかし、それが本当にそうであるかどうかは当時の心理学をしらないから私には判断出来ない。

思弁心理学も立派な学問で、実証科学ふうを装わなければ今でも通用する者もある。私はニーチェは哲学者というよりかは、思弁心理学者と捉えている。なかなか読ませる。

西田の書き方は『実証的、正当的」心理学を振りかぶって恐れ入らせようとしているようで、自分の主張にもっていく論旨が我田引水的で論理的に「飛び,抜け」が多い。つまりまともに理解出来ない。

執筆の頃、W・ジェームズの「宗教的体験の諸相」を感心しながら読んでいたそうだから、種本はその辺かも知れない。

ルネッサンスのころなら知らず、近現代では個別科学の当時の成果を寄せ集めて哲学的建築の土台にするのは非常に危険である。科学の進歩は急速だから置いてけぼりを食わされることになる。もっとも、ニコライ・ハルトマンなどは帰納的形而上学なる言葉をひねり出したようだが。E・ハルトマンもそんなところがある。