過日、当日発売という「シュタイナー哲学入門」(岩波現代文庫)を書店で見た。
シュタイナーさんのことは知らないが「ああ、本屋の精神世界棚の定番ね」くらいに思っていた。それで岩波も精神世界物をてがけるのか、という下衆な興味がはたらいたわけ。
目次を見るとフィヒテだとかシェリングそれにヘーゲルと比較しているらしい。これが何だろうと思った(無学のしからしむるところです)。で買ってみた。幽霊が出て来たり、難病がけろりとなおった等という話は出てこない、予想に反して。上記のドイツ観念論哲学者についてもなかなか哲学的な記述だ。それが正鵠を得ているかどうかは評価出来ない。なにしろユニークであっけにとられるところが多い。
ヘーゲルの絶対精神もフィヒテの自我も霊のことだと言うのだ。なるほどね、とまでは譲歩出来ないが、ここでもう一つの感慨を得た。親戚に新興宗教の教祖だった人物がいたが、彼の教えとほとんどそっくりなんだな。これに驚いた。大分年が離れていて、学生時代に散々話を聞かされたが、彼の話にはフィヒテもヘーゲルも出てこなかったが言っていることは瓜二つなんだな。もっとも、彼も哲学出身でジンメルの翻訳を出したりしていたのが、どこで道を迷ったのか教祖になってしまった。彼もどちらかというと、新カント学派というよりは観念論系、生の哲学系だったのだろう。
ヘーゲルを理解するには、それまでの西欧文明、キリスト教文明の顕教的、正統的(カトリック)知識だけではだめで異端あるいは秘教的な伝統(すなわちオカルト)を知らなければならないというのが私のかねての持論である(このブログでも書いたことがある)。
そんなことがあるのでこの書名に惹かれたのだが、ヘーゲル以前のことには実質的に全く触れていない。シュタイナーの主張によると彼はドイツ観念論の成果を出発点として、その上に未解決の問題を解決する目的で研究をしたということらしい、著者の高橋巌氏によると。この考え、特にヘーゲル等の解釈は講壇哲学者(特に日本の)には受け入れられているのだろうか。
まだ、全部読んでいない。終わりの方でブレンターノの話が出てくるあたりから面白くなってきた。