穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Z(5)章 三面記事

2017-03-06 08:15:14 | 反復と忘却

彼女は取って来た朝刊を三四郎の前に置いたて「あなたは何処から読むの」と聞いた。

「一面から読むね。政治面、外交面、経済面と、要するに順番に見て行く」

「スポーツ欄は見ないの」

彼は答えた。「見たり見なかったりだな」

「男の人ってスポーツ欄から見る人が多いんじゃないの」という彼女はよく男性と朝刊を読む機会が多いようである。

「たしかにね。どの新聞でも同じ構成になっているな。僕はスポーツ欄以降はあまり見ない。君は」

「家庭欄とか地域欄みたいなのは一応目を通すわね」

「社会面は?三面記事を今はそういうんだろう」

「ほとんど見ないわね。テレビのワイドショーとテーマは同じだし。テレビの方が詳しいし、面白おかしく分かりやすいでしょう」

そういえば三四郎も三面記事を見ない。テレビが発達していない時には社会面が新聞の花形だったらしいが。どうして三面記事というのだろう。むかしの新聞は三ページしかなかったのだろうか。

「社会面のニュースになるような話題はテレビを見ていた方が詳しいしわかりやすいことはたしかだね」

彼女は目玉焼きに塩をかけた。

「政治、外交面とか経済面は逆にテレビでは何を言っているのか分からないことが多い。映像なんてほとんど情報伝達の役にたっていない。文字情報の方が詳しいしポイントがはっきりと伝わる」

彼女はトーストにバターを塗りさらにピーナツバターをその上に塗りたくるとかぶりついた。「今日は社会面から読もうかな。朝のワイドショーは見逃したから」というとガサガサと音をたてて新聞のページをめくろうとしたが、紙が新札のように張り付いていた様になっていてなかなか開けない。

その様子を見ながら彼はむかしはそんなことがなかったのにな、と思った。新聞業界は合理化で新聞紙の素材もコスト削減をはかって技術革新をしているのだろうが、紙質は悪化たようだ。しかし新聞業界の技術革新でいいところもある。新しい新聞を読んだ後は手がインクで真っ黒になったものだが、最近はインクが全然手につかない。あれも技術革新の成果なのだろうな、と考えた。 

「ふーん」と言って彼女は食べるのを忘れたように新聞を熱心に読み出した。