穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Z(13)章 兜

2017-04-30 19:54:19 | 反復と忘却

 デパートのエスカレーターで降りて行く途中で端午の節句向けの販売を当て込んでミニアチュアの兜や鎧が展示してあるのが目に入った。今度はどうしたものかな、と三四郎はいつも引っ越しの時に迷うことを考えた。

 その兜の存在は父が死ぬまで知らなかった。遺品を整理していた時に、妹が納戸の押し入れの上の天袋から大きな黒塗りの木の箱を取り出した。三四郎はその脚のついた木箱を見るのは初めてであった。紐のかけてあった箱の中には実物の兜が仕舞われていた。彼が見るのは初めてであったが、妹は母から見せてもらったことがあるらしく、「おじいさんが贈ってくれたのよね」と言った。

 妹によると三四郎の誕生を祝って母の父が贈ってきたものだという。なんという名称なのか知らないが、兜の前面に装着する二つの角みたいな飾りが一緒に入っていた。顎当ても付いている。取り出してみると猛烈に重い。戯れに頭にかぶってみると首が胴体にめり込みそうになる。相当に厚い鉄で出来ているのだろう。実戦用と同じ作りなのだろうか。こんなに重くては屈強の武士といえども動き回れまいと思われた。大将なんかがそれを被って床几の上に座って指揮をとっていたのだろうか。とても動き回ることは出来ないと思われた。

 箱の中に入っていた木組みを組み立てると支柱、兜掛けとか兜立てとでもいうのだろうか、が出来上がりその上に兜が置ける様になっている。床の間に飾るものなのかな、と言いながら彼は支柱を組み立てて、床の間に置きその上に慎重に兜を乗せた。

「このごろは五月の端午の節句に近づくと四月のうちからデパートなんかでは兜を売り出しているな。もっとも最近のものはミニアチュアでちゃちなものだからずっと軽いんだろうけどね」

「そうね、段ボールに銀紙なんかを貼ってある感じね。完全な飾り物であれじゃ子供でも小さくて被れないわよ。それでもびっくりするような高い値段がついているのよ」

「しかし、不思議だな。僕がこれを見るのは初めてだし、家で端午の節句に取り出して飾った見たことも記憶にない」

 家では毎年三月のひな祭りの節句には床の間に赤い毛氈を敷いた段の上に雛人形がひと月ちかくも並べられていたが五月の節句には兜も取り出されずなにも祝われなかった。せいぜい思い出したように菖蒲湯を沸かしていたくらいであった。

別に不思議とも思わなかったが、母が隠す様に押し入れの上に仕舞っておいてかれに一度も見せたことがない兜を始めて見た彼は不思議に思った。

 「お兄さん達が反発したらしいわね。それでお母さんが遠慮したのよ」

「どうしてだい」

「だって、兜は武士の嫡男であることを象徴するんじゃないの。そうじゃないかもしれないけどお兄さん達はそう思ったのよ」

先妻の息子達は母に対してことごとに反抗したらしい。兜を飾ることを母が遠慮したのもそのためかも知れない。とにかく、祖父の彼に対する贈り物である兜を生前一度も飾らないどころか、彼の目に触れさせなかった母の心情、苦労がはじめて分かったような気がした。

 そういうわけで、はじめて兜は彼のものとなり、三四郎は引っ越しの度に、その木箱も一緒に運んでいるのである。壊れやすい木箱の中に非常に重い鉄のかたまりが入っている。運送屋には壊れ物として注意を与えているのだが、それでも木箱にはすでにひびが入っていた。その上、狭いマンションでは結構場所をとる。処分するにもどうして良いか分からないから持って行くのである。今度はどうしようかな、と三四郎は迷っている。そして結局処分する決断が付かないままに持って行くことになりそうである。