穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「銀翼のイカロス」の校正

2017-10-08 12:56:31 | 本と雑誌

 最近文庫になった該書を途中まで読んだ。この池井戸潤氏の作品ではたしか「下町ロケット」というのを読んでなかなか達者で町工場の人間がよく描けていると思った。この書評でも書いた記憶がある。さてイカロスであるが、十年ほど前に経営破綻した日本航空に政府主導の解体屋じゃない再建チームが入った話である。そして銀行に債権放棄を求める攻防だけに絞っている(ようだ)。モデルは日本航空と帯でも解説でも書いているがどの程度実際の経緯を反映しているかどうか疑問である。

 さて今回はモデル問題ではない。文言的に引っかかるところがたくさん出てくるのでいくつか取り上げた。小説では地の文というのがある。これには語法、語用で原則として間違えてはならない。

 ほかに会話の部分、登場人物たちのモノローグ、告白の部分がある。これは間違えてもよろしい。あるいは通用している語法でなくても構わない。それによってその登場人物の教養、育ち、性格がわかるわけで、作者が意図的に採用したものは生かすべきだろう。

 さて最初に取り上げるのは、銀行員の半沢という主人公に別の行員がいうセリフである。今度金融庁の調査が入り半沢と過去に因縁のある調査官が担当するというので、その情報を「悲報だ」と半沢に教える。これはせいぜい言っても凶報ではないか。ふつうは「厄介なことにその相手は黒崎だ」とか、「いやな相手になったな」というのが普通だろう。いっても吉凶の凶を当てるべきだろう。

 ところが私も念のために大辞林をひいたが、これらはひっくるめて類語となっているのには驚いた。類語というのはなんなのさ、同意(義)語ということかね。明らかにニュアンスが違い違和感がある。いつのまにこうなっちゃのかな。

 そんなことは実はどうでもいいのである。なぜなら行員のセリフだから彼の言葉遣いが幼稚だとわからせるように作者がつかっているならそれでいい。今の若い連中はこういう風に使うのだろう。それで思いしたが、会社の部長の奥さんが亡くなったときに、忠義なちょうちん持ちが率先して香典を集めようというのか、「凶報!!」(しかも赤の太字マジック)と書いてカラーコピーした紙を課員に配ったことだ。大辞林によると間違いではないらしい。こういう時にこそ悲報(悲しいお知らせ)とすべきだよ。ヤレヤレ。