ヘーゲルのもってまわった文章をタワゴトと痛罵するものは古来同業の哲学者でも多い。
ゲーテも辟易したというあの文章のスタイルはどうして出来上がったのだろうか。
へゲールは冒頭で「これは結論のさわりをちょいと先出ししたに過ぎない」てなことをよく書いている。そうして「そんなことは分かり切ったことだ。難しいことでも何でもない」と突き放すのである。こっちはますますバカにされたように思う。
この小論の趣意は彼の文章は悪意をもって韜晦しているのではないと弁護しようということである。一体あの文章スタイルはどこからきたのか。まさか学生時代、青年時代からあのようにひねくれた文章を書いていたとも思えない。
あるヘーゲルの伝記作者は「精神現象学」を上木するまでのヘゲールを「錬金術師の徒弟時代」と表現している。当時錬金術は中世よりも社会的ステータスが高く、19世紀の自然科学の勃興期よりも権威があった。アイザック・ニュートンも錬金術師を自称していた。ヘーゲルが錬金術を研究していたことは十分にありうることである。
彼はコレラで急死したわけだが、残された彼の蔵書には錬金術の文献が多数あったそうだ。錬金術の文献は中世キリスト教(カトリック)の峻烈な弾圧を逃れるために非常に韜晦した表現が多い。一子相伝的に秘密が漏れることを恐れたのだろう。日本で言えば、武道の秘伝書の書き方に似ている。
若きヘーゲルも錬金術書を耽読しているうちに、自然に筆をとれば、いやペンをとれば自然に錬金術書のような書き方になったのかもしれない。まったく読者をたぶらかそうとか、驚かせようとして悪意を持って意識的に書いたのではないと思われる。