私がまず注目するのはその哲学者特有のアルゴリズムである。ヘーゲルについて言えば、フレイジオロジーだけではなくて、彼の哲学のアルゴリズムは錬金術的である。もっとも、露骨なコピペではなくて、彼の実力で完全に換骨奪胎しているから錬金術臭にはなかなか気が付かない。
テーゼ、アンチテーゼ、シンテーゼあるいは正反合という弁証法は錬金術特有の合金製造方法である。まったく異なった二つの物質を高熱の炉で融解して新物質を作る(止揚する)というのは同じアルゴリズムである。また、錬金術ではこのような過程を繰り返す。黒の過程、赤の過程、白の過程などである。そうして最終的には金を製造する。金とは比喩であっていわば「最高のもの」ということである。すなわち、哲学者の石、賢者の石、エリクセールあるいは不老長寿の妙薬とも表現される。
錬金術思想の特徴は、その作業(高炉を使った作業)が作業者の精神の向上につながる、あるいは作業者の精神が向上していかないと作業は成功しないという考え方である。つまり物質と精神の照応というか相互影響を重視する考えである。これはヘーゲル哲学のもう一つの根本と同じである。有、定有、物質(無機的、有機的、人間)、精神、絶対精神という階梯と同じ思想である。錬金術でいう金あるいは賢者の石はヘーゲルのいう絶対精神にあたる。
不思議なもので西欧の近代哲学者で錬金術との関係がうかがわれる者はヘーゲル以外には近代初期のドイツの神秘主義者ヤコーブ・ベーメのほかにはいないようである。ヘーゲルはその哲学史でベーメを高く評価している。もっともあまり教養の無かった*ベーメの場合、モロに芸なく錬金術の影響が、しかも断片的に出ているようではある。とてもヘーゲルのように鮮やかにはさばいていない。
* 靴職人の息子で十分な教育を受けていなかったベーメは自分の神秘体験を文章にするのに苦労していた。
バートランド・ラッセルがヘーゲルのことを、何らかの神秘体験が彼の思想のもとになったのではないかと言っていたが、これもヘーゲルの錬金術臭を鋭く嗅ぎつけたからではないか。ヘーゲルに神秘体験があったかどうかは分からない。なくても、彼の知性なら錬金術的思考を完全に自分の言葉で表現できただろう。
ちなみに、錬金術以外に近代初期までアカデミズムのなかで勢力があったものに占星術があるが、これが近代哲学に影響を与えた痕跡はないようである。わずかにシュタイナーの神智学などにその反映が見られるだけのようだ。それとミーハー相手の占いとか「黄金の夜明け」ほかの近現代の魔術集団への影響にとどまっているようだ。要は天体と人間や社会の照応、つまりマクロコスモスの動きや配置がミクロコスモスの運命に影響を与えるというのだが、こちらのほうは近代哲学の上に痕跡を残していないようである。