とJS老人が驚いた。この自粛要請の中で競馬をやっているんですか、と不審げに問いかけた。
「ええ、やってますとも、無観客でね」
「だけど、それじゃ成り立たないでしょう。慈善事業じゃあるまいし」と心配したようにつぶやいた。「しかし、それで大丈夫なんですか。競馬場に入れないとすると場外馬券だけなのか」
「場外馬券も発売禁止ですよ。あれくらい混雑するところはありません。三密状態の典型ですから」
「するってえと、無収入で興行するわけですか」
「そうじゃない。これまででも、インターネットの売り上げが80パーセントあったそうでね。無観客開催で競馬場に行けなくなったので、インターネットの利用者が増えているそうです。政府もやめさせるわけにはいかないんですよ。中央競馬だけでも年間三兆円の売り上げがある。政府がその25パーセントをテラ銭として召し上げる。具体的には農水省がね。それが国庫に入るからやめさせるわけにはいかない」
「なーる」
いつの間にか来ていたCCが診療所から集めて回っている検体の入った四角い銀色のクルーケースを空いた椅子の上に置くと、「橘さんはお医者さんだったんでしょう。コロナ騒ぎでお医者さんの手が足りなくなっているからカムバックしたらどうですか。需要がひっ迫していますから」
「私は精神科だったからね。内科じゃないから。患者の頭に手を突っ込んだことはあるけど、患者の体に触ったことがないからな」と橘さんは応じた。
「競馬には経験があるんですか」
「昔ね、社会人になったころにすこし」
「橘さんはなんにでも博才があるんですね」
「そうでもない。非接触型だけですよ。ちょっとやるのは」
「は、コロナの話ですか。医者の話ですか」
「もちろんギャンブルの話です。博打でもプレイヤー同士の張り合いというか、やりあうのは全然だめですね」
「と云うと」とみんなが怪訝な顔をした。
「麻雀とかは全然だめですね。付き合いでやむなくすることはあっても、交際の出費だと思ってやっている。儲ける気は全然ありませんね。勝てないのが分かっているから」
「なるほどね」
「カジノゲームではブラックジャックとかもディーラーはいるけど、基本的には客同士の競り合いでしょう。そういうのはダメなんだな」
「だから競馬だということですか」
「そうですね。カジノゲームで言えばルーレットは大歓迎ですよ」
「しかし、あれには胴元というかディーラーがいるでしょう」
「一応いますが、あれは進行役でね。基本は客同士のやり取りです。そりゃだれも乗ってこないときや、いわゆる丁半がそろわないときには店が勝負に応じる場合もたまにはあるが、あるいは掛け金が上限のリミットを超える場合でね。そんな勝負はもともとしないから」と橘さんは説明した。「それにね、不思議だけど、客同士の張り合いはいやなんだけど、ディーラーとの駆け引きにはそう気を使わない。どうしてかな。なんか無機物に向かい合っているような気がするんだろうな」
「しかしねえ」と橘さんは心配そうに付け加えた。「競馬の無観客開催もいつまで続けられるかですよ。関係者にコロナ感染者が一人でもでれば中止するそうですからね」
「最近の様子じゃどこで感染するか分からないしね」
「そうすると橘さんは困りますね」
「そう、国内には公認のカジノはないからルーレットも出来ない」
「なんか秘密の地下カジノは日本にもあるみたいですね」
「あってもねえ、そういうところはカジノは楽しめないだろうな。そういうのは胴元が暴力団かヤクザがやるんだから、そういう組織に対する警戒感から結局対人型のギャンブルと同じになるんでしょうね。やったことはないけど、そんなことに気を使っていたら勝負になりませんよ」
「そうしたら、お医者さんに復帰ですか」
「それもありですね」