穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

86:競馬とな

2020-04-23 17:41:22 | 破片

 とJS老人が驚いた。この自粛要請の中で競馬をやっているんですか、と不審げに問いかけた。
「ええ、やってますとも、無観客でね」
「だけど、それじゃ成り立たないでしょう。慈善事業じゃあるまいし」と心配したようにつぶやいた。「しかし、それで大丈夫なんですか。競馬場に入れないとすると場外馬券だけなのか」
「場外馬券も発売禁止ですよ。あれくらい混雑するところはありません。三密状態の典型ですから」
「するってえと、無収入で興行するわけですか」
「そうじゃない。これまででも、インターネットの売り上げが80パーセントあったそうでね。無観客開催で競馬場に行けなくなったので、インターネットの利用者が増えているそうです。政府もやめさせるわけにはいかないんですよ。中央競馬だけでも年間三兆円の売り上げがある。政府がその25パーセントをテラ銭として召し上げる。具体的には農水省がね。それが国庫に入るからやめさせるわけにはいかない」
「なーる」

 いつの間にか来ていたCCが診療所から集めて回っている検体の入った四角い銀色のクルーケースを空いた椅子の上に置くと、「橘さんはお医者さんだったんでしょう。コロナ騒ぎでお医者さんの手が足りなくなっているからカムバックしたらどうですか。需要がひっ迫していますから」

「私は精神科だったからね。内科じゃないから。患者の頭に手を突っ込んだことはあるけど、患者の体に触ったことがないからな」と橘さんは応じた。
「競馬には経験があるんですか」
「昔ね、社会人になったころにすこし」
「橘さんはなんにでも博才があるんですね」
「そうでもない。非接触型だけですよ。ちょっとやるのは」
「は、コロナの話ですか。医者の話ですか」
「もちろんギャンブルの話です。博打でもプレイヤー同士の張り合いというか、やりあうのは全然だめですね」
「と云うと」とみんなが怪訝な顔をした。
「麻雀とかは全然だめですね。付き合いでやむなくすることはあっても、交際の出費だと思ってやっている。儲ける気は全然ありませんね。勝てないのが分かっているから」
「なるほどね」
「カジノゲームではブラックジャックとかもディーラーはいるけど、基本的には客同士の競り合いでしょう。そういうのはダメなんだな」
「だから競馬だということですか」

「そうですね。カジノゲームで言えばルーレットは大歓迎ですよ」
「しかし、あれには胴元というかディーラーがいるでしょう」
「一応いますが、あれは進行役でね。基本は客同士のやり取りです。そりゃだれも乗ってこないときや、いわゆる丁半がそろわないときには店が勝負に応じる場合もたまにはあるが、あるいは掛け金が上限のリミットを超える場合でね。そんな勝負はもともとしないから」と橘さんは説明した。「それにね、不思議だけど、客同士の張り合いはいやなんだけど、ディーラーとの駆け引きにはそう気を使わない。どうしてかな。なんか無機物に向かい合っているような気がするんだろうな」

「しかしねえ」と橘さんは心配そうに付け加えた。「競馬の無観客開催もいつまで続けられるかですよ。関係者にコロナ感染者が一人でもでれば中止するそうですからね」
「最近の様子じゃどこで感染するか分からないしね」
「そうすると橘さんは困りますね」
「そう、国内には公認のカジノはないからルーレットも出来ない」
「なんか秘密の地下カジノは日本にもあるみたいですね」
「あってもねえ、そういうところはカジノは楽しめないだろうな。そういうのは胴元が暴力団かヤクザがやるんだから、そういう組織に対する警戒感から結局対人型のギャンブルと同じになるんでしょうね。やったことはないけど、そんなことに気を使っていたら勝負になりませんよ」

「そうしたら、お医者さんに復帰ですか」
「それもありですね」

 


87:暗いカジノもある

2020-04-23 17:41:22 | 破片

 JS老人が第九のほうを向いて「あなたが客を呼び込んでいるみたいだな」と言うので老人の視線の向いているほうを振り返るとチョンマゲを頭に載せたフリージャーナリストの五百旗部氏が女主人に会釈しながら店内に入ってきた。

「皆さん、自粛疲れがでたんでしょうね。我慢できなくなって街にさまよい出たみたいだ」
頼りなげに頭の上で揺れているチョンマゲを気にしながら彼は一座に加わった。
「コロナ騒ぎでお忙しそうですね。すっかりお見限りで」
「ハッ?」と彼は一太刀不意打ちを浴びせられたように立ち竦んだ。
「取材で多忙を極めているでしょう」
「とんでもない。商売あがったりですよ」
「へえ、ジャーナリストは忙しくなるかと思っていた。飲食店と同じなんですか」
「覗き屋稼業もこう世間が自粛もムードでは商売できません」
「そんなもんですかね」
「なんだか話が弾んでいたようですね。コロナの話ですか」とチョンマゲは確認するように聞いた。

「そうじゃないんですよ。橘さんのパチプロ商売が立ちいかなくなったというんですよ」
「なるほど、政府はとうとう休業しないパチンコ屋は店名を公表すると言ってますからね」
「それで馬券師になろうというんですが、競馬もコロナの感染者が出れば開催を中止するというので橘さんが困っているんですよ。パチプロでは休業手当も出ないそうで」
「ははあ」
「それにね、日本ではまだIRが成立していないからカジノもないし、という話をしていたんでさあ。あなたはカジノなんかにいくんですか。仕事柄取材で海外にいくこともおおいだろうし」
「ええ、好奇心が強いほうだから機会があれば覗いてきましたがね」
「さっきも話に出ていたんだが、海外ではカジノが公認でヤクザや暴力団が関係していないから安心して遊べるというのは本当ですか」

そうねえ、とチョンマゲは首をひねった。女ボーイが持ってきたコーヒーを一口啜ると、なにか汚れがカップについていないかと目を細めたが、
「裏社会が、マフィアとかね、そういうところが関与しているかどうかというのは表面からは海外ではわかりませんからね。日本では公認されていないから歴然としていますがね。
とにかく公認されているからこそこそと人目をはばかりながら賭場に入って、怖いお兄さんに監視されることはないですね」

しかしねえ、と彼は考え考え付け加えた。雰囲気は場所によって大きく違いますね。小さなカジノは危険かもしれない。例外なくそういうところは雰囲気が暗いからね。インチキをされているのかもしれないと考えることもある。モナコとかニースのようなところは安心ですけどね」
橘さんが同意のしるしに頷いた。

具体的に言うとどういうことが、と誰かが聞いた。
「一度ウイーンで入ったカジノは映画で見る日本の賭場のように暗い雰囲気でしたね。ルーレット台が一つしか無くてね」
「ルーレット台は店で操作できるというのは本当ですか」
チョンマゲはギロリと視線を質問者に向けた。
「常識でしょうね。しかし大きなカジノではそういうことはまずしないようですね。さっき言ったところとかラスベガスの大きなカジノでは心配しなくていいようです」

それでウイーンの賭場はどうでした、と橘さんが聞いた。
「一言で言えば店の雰囲気が暗い。これは曰く言いようがないが、直感的に肌で感じる。目で暗さを感じるのではない。肌に迫るのです」といって一同を見回した。
「入った以上そのまま出るのはまずいので適当に低いベットで何回かやっていると、店内に東洋人の集団が入ってきた」
「客だったんですか」
「そうらしい。みんな細い目が吊り上がっていてね。種族的特徴が顕著でした。全員がグループらしい」
「日本人ですか」
「もちろん違います。もっとも彼らは集団にも関わらず一言も話さないからよく分からない」
「どういう連中なんだろう」
「直感ですけどね、北朝鮮を連想しましたね。ピンときました。ウイーンは彼らの欧州での諜報活動の拠点ですからね」
CCが言った。「彼らが現れたのは五百旗部さんが現れたからなんでしょうかね」
「関連がある、というのが直感でしたね。変ね客が来た。どうも日本人らしい。風体が怪しい、というので店の誰かが通報したのでしょう」
へえ、と誰かが言った。
「もちろん推測ですよ」
「どうしてだろう」
「わかりませんね。私が諜報関係者で彼らとつながりのある店を探りに来たと疑ったのかもしれない。なにしろ私はこの風体だし、どこにいっても怪しまれるんでね」とみんなの笑いを誘った。
「あるいは」とJSが言った。いいカモが来た。篭絡して利用しようと集団で押し寄せたのかな」
「その可能性はありましたね。それで私も気味が悪いので、すぐに店を出たんですよ」

橘さんがチョンマゲに聞いた。「ラスベガスはどうですか、あそこは大きな店でもルーレットは一台か二台ぐらいしかないが」
「だけど店自体が大きいから、あまりインチキは心配しなくてもいいんじゃないかな。しかしあそこで気をつけなければいけないのはオンナですよ。部屋にまで入り込んできますからね」
橘氏はなにか思い当たるところがあるらしく頷いた。