彼は書店巡察の結果、三冊ほど文庫本を購入してブックカフェに戻ってきた。まず学生時代にちらりとのぞいた資本論第一巻を見る。たしか序文にへーゲルへの言及があった記憶がある。あった、あった、第二版の序文である。四か所ほどある。
「私の弁証法は、その根本において、ヘーゲルの方法と違っているのみならず、その正反対である。」なるほど、これが1873年彼が55歳の時の言葉である。
「私は、ヘーゲルの弁証法の神秘的な側面を、30年ほど前に、すなわち、それが流行していた時代に批判した。」なるほど、その頃はヘーゲルの死後十二、三年後のことである。
「その後資本論の第一巻を執筆していたころには」、彼ら(当時の批評家であろう)は「死せる犬としてヘーゲルを取り扱っていた。したがって私は、公然と、あの偉大なる思想家の弟子であることを告白した。」ようするに人がほめそやすときには反対して、世評が悪くなると公然とヘーゲルの弟子であると名乗るわけだ。天邪鬼だね。
「その合理的な姿においては、ブルジョア階級とその杓子定規な代弁者にとって、(ヘーゲルの哲学は)腹立たしい恐ろしいものである。というのは、それは現存しているものの肯定的な理解の中に、同時に否定的な理解、その必然的没落の理解を含むものであり・・・その本質上批判的で革命的なものであるからである。」
要するに諸刃の刃というわけだ。二通りの正反対の解釈を許すヌエ的なものだというのだ。
俺がレーヴィットのヘーゲル左派に関する記述を読んで不審に思ったのは、彼らが批判しているのは個別分野、すなわち宗教哲学であったり、歴史哲学、政治哲学であって、ヘーゲルの土台をなす論理学への批判がないことである。あるいは論理学の前駆的著作である精神現象学への言及あるいは批判がないことである。不自然ではないか。もっともこれはレーヴィットの要約に責任があるのかもしれない、と失業中のパチプロ氏は考えたのである。
そこで今買ってきたマルクスの「経済学・哲学草稿」から読むことにした。マルクス26歳の時の作品である。もう一冊買ったのは「ドイツ・イデオロギー」で彼の27歳の時の作品である。そこでまず、「経済学・哲学草稿」を選んだのである。というのはその中に「ヘーゲルの弁証法と哲学一般の批判」という一章を見つけたからである。もっとも上記の二著は生前出版されず死後相当の年月が経ってから出版されたので、その後も筆を入れていた可能性があるから、26あるいは27歳の若書きと断定するのははばかられるが。