アタイにも餌がほしいな、と憂い顔の美女がイライラしたように呟いた。一座はシーンとなって彼女を見た。「精神に食わせるエサのことよ」と彼女は付け足して一同のげすな勘繰りをやんわりと払拭したのである。彼女はよわい二十歳にして精神的な飢餓を感じているらしい。
そうだな、と立花は考え込んだ。彼は親身になって彼女の悩みを癒してあげようと努力していた。
「なんでもいいのよ、だれでもいいのよ」と彼女はじれったそうに発したのである。
二十世紀の哲学界の天一坊といえばウィトゲンシュタインだが、ああいうのは嫌いかい?と聞いた。
彼女はびっくりしたように立花を見た。
「読んだことがあるかい」
「ううん、無いわ」
「それじゃ彼の論理哲学論考と遊んでみなさい。すぐ飽きるかもしれないけどね」
「日本語で読むの」
「うん、そうだな」
「なんか訳者が沢山いるんじゃないの。誰のがいいの」
立花は困ったような表情をした。「さあてね、俺もよく知らないんだが、適当に選んだら。文庫本でも、わんさとあるだろうよ」
「英語も読んだほうがいいかしら。あれって英語よね。ドイツ語は読めないな。それとも題名からするとラテン語で書いてあるのかな」
「英語でいいんだよ。いま一番流布しているは英語版だ。最初はドイツ語で書いたんだが、すぐに英語版が出た。何回か改定したらしいが、現在は英語版が手に入りやすいだろう」
「ラテン語じゃなかったのね」
「ラテン語は題名だけだよ。ウィトゲンシュタインはラテン語だと格好良いと思ったらしい」
ところで、と話題を転じて立花は第九に問うた。「さっきのあなたの講釈では技術の話が出ていなかったようだが、本のタイトルは『技術とはな何だろうか』と言うんだろう」
「そうですね、三つの講演記録が収録されていてね、『物』、これはさっきおはなししたものです。それから『建てること、住むこと、考えること』そして最後に『技術とは何だろうか』というんですけどね、たしかに『物』には技術の話は出てきませんね。あとの二つに出てくるのかな、少なくとも最後のはタイトルが『技術とは何だろうか』だから、何らかの言及はあるのでしょうね」
「それじゃ、そっちのほうも解説してよ」
「そうですね、次回にでも」