穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

74:個人に埋もれたハルマゲドンの衝動

2021-07-03 09:09:21 | 小説みたいなもの

さてと、と議長の乙は出席者を見渡した。「どこからはじめますかな、どこでもいいものかもしれない。なにしろ、ナマズのようなものだ。どこをつかんでもヌルヌルしていて掴みどころがない。ということはどこから着手しても関係ないように思うが」と捨て鉢気味に投げ出した。

帝都大学の言語学教授の魚味(オミ)が口火をきった。

「やはりなんですね、警察の調書がとっかかりではないでしょうか。それしか資料はないのだから」

一同もそれには反対なかった。

「それとね、マスコミがつつきまわしているでしょう。犯人の生い立ちだとか、家庭環境だとか。情報の信憑性はともかく、ほかに手掛かりは無いのだから」と誰かが付け加えた。

乙は後ろを振り向いて控えていた係の一人に「例のまとめた資料はコピーしてありますか」と聞いた。

「二十部ございます」と聞くと「それでは皆さんにお配りていてください」

「さて、お配りした資料は公安がまとめた取り調べ調書です。ご検討ください」

マスコミの記事をまとめたものはないのですか、と質問が飛んだ。

「これからまとめます」

「まあ、無くてもみんな読んでいるだろうから、それを各自が紹介というか引用してもらえばいいのではありませんか」と誰かが提案した。

「それでは、そういうことで」と言うと乙は「魚味さんから」と誘った。

「犯人は皆よくしゃべりますよね、例外なく。だから逆に言えば資料はたくさんあるともいえる。だかそれに『飛び』があるから世間では訳が分からないというか論理の飛躍があると感じるわけだが、その『トビ』がどこにあるのか調べればヒントがあるような気がする」

「ふん、理屈だな」という声があった。

「これは言語学の問題ともいえ、また哲学の問題でもあると思う。勿論心理学の問題でもある」

彼は卓上に用意されたペットボトルの味付け水を一口飲んだ。

「人間は概念の動物ですから、概念に基づいて行動する。概念と言うのは具体的なものでもある。一般に対象を把握するときに、個、特殊、普遍という段階を踏む。個と言うのは人間の場合はもちろん個人のことだ。特殊と言うのは民族とか国民性と言うことである。白人、黒人、アジア人もそうだ。普遍と言うのは人類である。人類皆兄弟なんてスローガンもある。普通日常生活ではこれらは区別して理解される。ところがこの区別が吹っ飛んでしまうとどうなるか。個人をAとする。民族をA!とする。人類をA!!と普通は使い分けている。だからA  not=A!であり、A not=A!!である。ところがどこかが壊れると無条件的に、常時A=A!でありA=A!!となる」

「それが通り魔とどう関係があるのかな」

「人間がどこかで壊れるとA=A!となる。つまり自殺衝動が即ハルマゲドン衝動になる」

「なぜです」