「議論が白熱してきましたね。色々興味深いお説も出てきましたが」と座長の乙は最新式のハイブリッド腕時計に眼を遣ると、「十分ほどコーヒーブレイクとしましょう。トイレ・ブレークとしましょう」と提案した。座っていた出席者はワラワラと席を離れると後ろの壁際に用意されたテーブルに行ってコーヒーを飲むものあり、トイレに行くものもあった。
一坐が席に戻ったのを確認すると乙は会議を再開した。
知の巨人と呼ばれる舘隆志が発言した。「この公安がまとめた供述書に出ているかどうかはまだ見ていないんだが、マスコミの報道で気になることがありましてね。私が読んだのは、たしかリニア新幹線で社内にガソリンを撒いて放火した若者のことなんだが、犯人は昔から『言われたことを言葉通りに受け取る』性格だったというのだな」と言うと出席者を見渡した。「公安の調書にはありますか」
誰も返事をしなかった。さっき配られた資料にまだ眼を通す暇がなかったのである。乙が自信なげに言った。「さあ、瞥見したところでは気が付かなったな。少なくとも小見出しなどでは言及はなかったようだ。マスコミの報道では各社が同じことを取り上げていたのですか」と質問を投げ返した。
「いや、私が気が付いたのは一社だけでしたがね」
「ふーん、それが何か問題があるんですか。ヒントでも、その記事に」と乙は疑わしそうに問い返した。
「いや、とくに。しかしわざわざ当たり前のことを強調した記事なので記憶に残っていたのです。記事ではなにかそれが特異なことのようにとりあげていた印象でね」
言語学者であるオミ(魚味)教授が発言した。「言葉と言うものは、とくに日常生活で使われる場合はその場の状況と言うか雰囲気で受け取らないと非常に妙な堅苦しい意味にとられて、逆にコミニケーションが成立しない場合が多い」
「たしかにそうだ。自然科学の言葉と言うか法則と言うか、等式は言葉通りに受け取られることを前提としているが、日常の会話では違うからな」
「逆のそういう、言葉通りにしか受け取らない人は相手に違和感を抱かれる」
「そう、むしろ知能が低いと疑われるかもしれない」
「幼児の場合は言葉通りに受け取って、成長するにつれてその場の状況で総合的に判断するようになっていくのだからね」
「そうか、言葉通りにしか、大人になっても、受け取らないというのは、場合によるだろうが、多くの場合は知能が低い、そこまで言わなくても変わった人という印象を他人に与えるだろう」
乙は改めて『知の巨人』のほうを向いた。「それでそのことが通り魔現象の解明にどう関係するのですか」
「いや、私の勘ですよ。カンというよりも、イワ・カン(違和感)ですな」