穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

召喚

2022-05-01 09:00:29 | 小説みたいなもの

 召喚に応じて道幅四メートルの場末の裏道に面した窓から、町工場の騒音とシナソバ屋の安油の匂いを伴って彼はフワフワとマントをひる返して入ってきた。彼が着地するのを待って
「すべてのことを疑うと言ったそうだが本当かい」と若きフリーターはいきなり浴びせかけた。「おかしいじゃないか」
彼は憤然とした様子で答えた。
「なんだと」
「だってすべての物を疑うなら、疑ってかかる自分も疑わしいだろう」
「疑ってかかる自分の存在だけはこの世界で唯一確かなことだ」
「矛盾しているじゃないか。すべてを疑うなら、疑っている自分をまず疑うべきだろう。あんたの言っていることは詐欺だぜ。近代の哲学者たちは一人残らずあんたに誑かされたんだ。罪は軽くないぜ」とかるく右のジャブを出した。
詐欺とは何だ!
「いやさ、言葉が過ぎたかもしれない。許してくれたまえ。矛盾と言えばいいのかな。自家撞着と言えばいいのかな。あるいは単なる修辞上の問題か。ウィトゲンシュタイン流に言えば無意味と言うことか」
侮辱に耐え兼ねて、火鉢のなかの種火みたいに顔を赤黒く変色させたデカルトは窓から飛び出した。窓枠に引っ掛けたマントが裂けてヒステリー女の怒声のような音を発した。
さてと、彼は呟いくと読みさしていた「世界制作の方法」という駄本を取り上げて読みだした。不思議だ、世界制作の方法を説く研究があって、世界消滅の方法論を論じる研究が無いのは何故だろうと彼は訝しんだ。まてよ、ハルマゲドンがあったな。もっとも、ほとんど全部が既成宗教、新興宗教、カルトが勧誘のための脅迫に使っているだけだ、というと彼は首を振った。