この小説も他のカフカの小説と同じで序がない。
ある朝目が覚めたら自分がゴキブリに変身していたという話である。序が無くても納得して、しかも感心感激して読む読者は幸せである。以下は一解釈である。序を補うには大抵の場合、御終いを読むと分かる。
最後はゴキブリが死んでその厄介な世話をしなくてもよくなった一家は遊園地に行って楽しんだとなっている。
つまりゴキブリにしたのは父親の懲罰の結果である。ゴキブリだ死んで清々としたというわけである。執筆時父親はまだ生きていたので、そうあからさまに書くわけにはいかなかったのが、序のない理由であろう。
このパターンはカフカが得意だったようで長編「判決」でも摘発の理由は明かさないで最後に「犬のように」道端で殺されるパターンと同じだ。ただしこの場合主役は父親でなく、社会的な「組織」と読める。それを勝手に来たりくるナチスを予言したというのは見当はずれであるとは前に書いた。強いて言えば社会とはそういう不条理なものだ、ということかもしれない。