このブログも大分さぼっておりました。前にドイツ観念論のアルゴリズムを書きたいなんて言ったことがありました。最近木田元氏の文章を読んでハイデッガー(三木清ふう表記ハイデッゲル)の本を読んでみました。初見であります。平凡社より出ている「形而上学入門」です。
ドイツ観念論というのはいずれにしても19世紀のものでその盛期はヘーゲルでしょうが、ハイデッガー哲学はなんていうのかな、現象学的というのか、いずれにしてもその臭気(芳気)は観念論のようです。
観念論のアルゴリズムを書くのが難しいのは、用語の統一が無い所で、まず読替え表を作らなければなりません。これが、勿論正確に一致する読み替えは不可能です。なにしろ哲学者というのは用語の定義をしませんから、特に彼にとって基本的に重要な用語ほど定義をしないのが通例です。用語の経年的な揺れという問題もある。
「形而上学の根本の問い」のなかでしたか、ギリシャの昔から哲学者は似たようなことを研究しているが、それでも汲み尽くせない内容があるてなことをいっています。これはライプニッツのいうモナドと同じだ、と思いました。哲学者個人個人はモナドのようなもので独立している。そして同じ問題、世界でもそれぞれのモナドが持っている窓だったか鏡に映る世界は同じ物を色々な場所角度から見る様にみんな違うというのだな、とおもうのであります。
次回は「形而上学の根本の問い」から見て行きます。