穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「論理哲学論考」が正しいか?

2018-05-06 15:07:54 | 哲学書評

 この「論理哲学論考」の英国で出版したときの原題は凝っている。

 TRACTATUS LOGICO-PHILOSOPHICUSというラテン語である。この本は最初にドイツ(あるいはオ-ストリア?)で出版されたらしいが、そのタイトルはLOGISCH-PHILOSOPHIE ABHANDLUNGというらしい。やはり妙なところにハイフンがあるから、ラテン語のほうも間違えたのではないらしい。

  このハイフンが昔から気になっていた。英語のタイトルがないらしいからたしかめられないが、(所ならぬ)ところにあるハイフンは意味があるのか。つまり「論理哲学論考」なのか「論理・哲学論考」なのかまぎらわしい。だいたい、そういえば論理哲学なんて言葉があるのだろうか。哲学的論理学ならなんとなく分かるが。日本語では中点を充てたが、ハイフンや中点のあるなしではテーマの範囲が違ってくる。中点だとすれば「論理および哲学についての論考」となるだろう。

  そこで不図気が付いてSPINOZAのたしか「神学政治論」と訳されていた本があったんじゃないかとインターネットで調べた。ありましたね、こうある、、

TRACTATUS THEOLOGICO-POLITICUS

やっぱりハイフンがあるんだな。これをまねたらしい。

  そこで岩波文庫版で「論理哲学論考」を流し読みした。ほとんどが論理学的というか、そういう記述だが、最後の二ページほど(6・4以下)で形而上学(哲学)や倫理にふれている。もちろん否定的に。ただし、それは論理的命題としては成立しない(無意味)という意味においてだが。そうすると日本語の訳は「論理・哲学論考」になるのかな。



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