穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

X(3)章 小指は覚えていた

2016-05-09 07:57:05 | 反復と忘却

 どうやってネクタイを結んでいたかイメージがちっともわかない。ところが良くした物でネクタイを首に回すと手が覚えていた。小指が女を覚えていたと「日本文学史上最大の叙情作家」と太鼓持ち文芸評論家が持ち上げる人物の小説にある。どうして人差し指ではないのかと彼は文学青年の頃に首をひねったものである。いまだにこの疑問は解消していない。まあ、いい。ここはそんなことを書くところではない。

いろいろ流儀があるのであろう。俺のは極真一刀流だからな、と鱒添は呟いたのである。

 

ネクタイを左から首に回すか、右から回すのか自信がなかったがなんとか結べた。左右なんて関係がないのかも知れない。左右対称だからな、と彼は心の中でつぶやいた。

エレベーターで一階におりると手にスーパーの大きな買い物袋を下げた丸顔の女が入り口から入って来た。ぎょっとしたような顔で彼を見る。背広を着用することも稀でネクタイ等したことがない職業不詳の胡散臭い男が黒い背広で現れたので驚いたのかも知れない。想像力の乏しい女だと彼は心の中で舌打ちをした。おまけに黒いネクタイまでしめている。一瞬中年のタヌキ顔の女の意識は惑乱したのかもしれない。

そとはかんかん照りになっていた。天気予報でも雨は降らないと言っていたが、彼は起き抜けの観天望気で雨気を感じたので傘を持って出た。コンビニが500円で売っているビニールの傘で拍子をとるように気障に振り回しながら狭い歩道に所狭しと置いてある荷台や子供を乗せるかごのついて自転車をよけながらあるいた。

もっとも、おれが黒い服を着たらヤクザと間違えられるかもな、と彼は独り言ちた。じっさいヤクザ抗争が激しかった頃彼はヒットマンと間違えられたことがあるので。といって彼がそう受け取ったというだけなのだが。

繁華街の外れにある特殊飲食店が建ち並ぶ狭い道を歩いていた時である。しょぼくれた不動産屋の前をとおりすぎたとき、血相を変えた男が二人外に飛び出して来た。歩道には人通りが無かったので彼を見て飛び出して来たのに相違ない。大きなショルダーバッグを肩にかけていたが、そういうスタイルのヒットマンがいたとかいう週刊誌の記事があった。ショルダーバッグの中からやおらサブマシンガンを取り出してヤクザの事務所に向って乱射するとか記事には書いてあった。男達は挑発するような目付きで彼にまとわりつく様に観察していたが、どうやら人違いと納得したらしく店に引っ込んだ。

かれは得意の現象学的還元で「どうも俺の人相風体は反社会的らしい。抗争相手のヒットマンと勘違いしたらしい」と結論づけたわけである。

 


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