穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

50:一晩で五千ページを読みこんだハーバード時代

2021-04-09 09:44:02 | 小説みたいなもの

 購入した書籍は一冊当たり3-400ページくらいとすると三十冊で一万ページを超えるかな、と彼は肚の中で計算した。二日もあれば読めるだろう。彼はハーバード大学ビジネススクールでは三千ページもある資料を渡されて一日でレポートを書かされたことなど何回もあった。勿論英文であったが。最近はそんなこともなかったが、まあ、まだ一万ページなら二日もあれば今でも十分だろうとふんだ。

 天馬ペガサスは一週間後に迎えに来ることになっている。あと五日あまりある。資料の処理が予定通りに進めば、いよいよキンタマ袋を入手して放射能の降り注ぐ屋外の探訪に行くことにした。

 彼は持ち帰った分の三冊に目を通してレジメを作った頃に本屋が残りの書籍を届けてきた。彼は目次を眺めて書籍を読む順番を按配するとテーブルの上にいくつかの山を作った。館内電話でルームサービスを呼び出して、夕食を注文した。サーロインステーキを500グラムと注文しかけたが、徹夜の作業中に眠くなるといけないので考え直してレアで300グラムにした。それと濃く入れたコーヒーを二ットル持ってくるように命じた。

 食事が運ばれてくると彼はステーキをたいらげコーヒーを五杯ほど飲んだのち作業に拍車をかけて資料の分析(分解、咀嚼)に没頭した。翌朝の午前四時ごろには七割がたの作業を終わっていた。

 彼はベッドに入り仮眠をとった。午前七時に起きると残りの書籍を分解、分析して全体のレジュメを作成した。全部手書きであるからまとめ終わったときには手がしびれた。彼はパソコン(今いる世紀でもパソコンというものがあったとしてだが)を持っていないし、osだってマシンだって最新式の使用法を理解し習熟するための時間的余裕はないことはあきらかであった。

 ます理解しなければならなかったことは、なぜ放射能汚染が深刻な問題になっているかであった。天変のせいか。昨日からの体感的経験によるとそうでもなさそうだ。日が昇り日が沈むのは、つまり一日の長さはやはり24時間前後のようだ。資料の渉猟で見当をつけたところでは、どうも近過去に世界的な核戦争があったらしいのだ。

 第三ミレニアムの後半に第N次冷戦がとうとう沸騰したらしい。その結果ユーラシア大陸の東半分は完全に破壊されたらしい。我々のいる世紀からそのころまでには核兵器技術も長足の進歩をしていて、ようするに格段にイヤラシイ兵器になっていたらしいのだ。この辺は原子核物理学の知識のないアリャアリャにはよく分からなかったが、ようするに被爆地の放射能汚染は今(二十二世紀)よりはるかに長期間にわたって続くらしい。それも人体の生殖細胞を狙って破壊するものがあるらしい。源平合戦と同じだ。平家が勝った時には源氏の血を根絶やしにした。源氏が勝った時には平家の血を根絶やしにしようとしたではないか。それと同じ発想であろう。

 日本も偏西風に乗ってユーラシア大陸から放射能が漂流して降下する状態がいまだに続いているらしいのだ。

 

 



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