つくづくそう思う。年をとってから本を読む楽しみがなくなってしまう。それで恥ずかしながら漱石の明暗今更の初読書評であります。
200ページほど、三分の一くらいか、例によって新潮文庫で読んでいる。何を言いたいのか、よくわからない小説だな、という印象。ようするに豆腐みたいな歯触りというのかな。
それと、文章のスタイルが著しくこれまでと違うような気がする。そうほかの小説も精読をしたわけでもなく、大部分は数十年前に読んだ記憶だが、存外こういう印象というのは確かなものでね。
なんというか、人によっては翻訳みたいというだろう。長い文章が多い。日本語にはない関係代名詞で延々と文章を伸ばしていくといったらいいのかな。しかし、感心するのは言っていることは抵抗なく理解できて記憶に蓄積されていく。これは技術というか才能だろう。
日本人のたいていがこの調子でやるとわけのわからない文章になるが、さすがは漱石である。それにほかの彼の小説ではこういう文章はなかったような気がするのだ。
翻訳の場合でも日本語に上手に訳せる人が少ない。一番いい例が岩波文庫のドイツの哲学書の翻訳で、同業者からケチをつけられまいと逐語的にまったく構造の違う言語を翻訳するから理解不能、意味不明の文章になる。
そういう異質な構文をつかって(つまり日本語的構造と全く違う)文章を作り、読者の頭に直ちに浸み込ませるという漱石の工夫はすごい。
言語的な工夫以外に人物の出し入れの流動性とか、イベントの生起のなだらかさでもうまいな、と感じさせる。つまり技術的にかなり進歩した印象である。これが絶筆となったのはおしまれる。