穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

What happened to High Window

2014-12-18 21:21:00 | チャンドラー

村上春樹訳「高い窓」読み終わった。前に褒めたがラストはよくない。それで原作と比較しようともう一度本屋で探したが前に書いた様にHigh Windowだけが無い。たまたま改訂改版の時期なのだろうか。日本の書籍でこういう端境期には一時本が書店から消えることがあるが。 

で、比較は昔原作を読んだ時の記憶や印象と村上春樹訳の比較になりますのでご了承ください。なお、昔読んだといった場合は英文の原作のことです。

スリラーで一番気をつけなければ行けないのはラストの謎解きが説明調に堕したり、平板にならないことである。特に犯人と向かい合って探偵から「こうだろう、こうだっただろう」とやるときは会話になるから、説明調になることは特に避けなければならない。

この点では「長いお別れ」も同じ趣向であるが、「長いお別れ」のほうがはるかにすっきりしていて、進め方に淀みがない。

くどくなることもいけない。村上訳ではこの欠点が目立つ。原文ではそんなでもなかった記憶があるのだが。あとがきで村上春樹も書いているが、チャンドラーのラストは辻褄が分かりにくいものがある。後書きでは高い窓は辻褄はあっているといっているが。

あるいは訳者が分かりにくさを読者のために改善しようと訳に手を加えたのかも知れない。もしそうなら、失敗している。かえってくどくなりポイントが分かりにくくなっている。前に読んだ時に、確かに込み入っているなと思ったが、素直に読んで行けた記憶がある。

しかし、全般的に見ると、これまでに彼が訳したチャンドラーで原作を読んだ時より感興を憶えたのは「高い窓」がはじめてである。残っている「プレイバック」や「湖中の女」は「高い窓」よりさらに出来に問題があるから、村上春樹が流麗な創作翻訳の腕を存分に振るえるのではないか。

 



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