穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第N(15)章 二こすり半では駄目

2016-08-25 07:02:24 | 反復と忘却

本郷のキャンパスへ三四郎は来ていた。平島に誘われて煮村六三郎教授の宗教哲学の講義にもぐりこんだのである。誘われた時にはびっくりしたがマイクを使う大教室だし他の大学からのもぐり学生も多いから目立たないと言われて金色に輝く本郷の銀杏並木をくぐったのである。実際他の大学からかなりのもぐりが来ているようだった。宗教哲学の講義ということになっているが、エロ話の連続で品川の教祖のことを思い出した。宗教家の話というのはどうしてエロ話が多いのだろう。もちろん品川の教祖の話よりずっと洗練されてはいたが、エロねたには違いない。大教室を埋めた半数近くの女子学生はきゃーきゃーと喚声をあげて大喜びのていであった。 

その後で三四郎は平島とカレー屋をかねた近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ。

「公案にはとりくんでいるかい」と平島は聞いた。

「いや、どういう公案があるのかさっぱり分からなくてさ。あれは禅寺なんかに参禅すると、そこの和尚さんが見繕って相手の程度を見極めて適当なやつを選んでくれるんじゃないか。寺に行く気はないしさ」

「本があるじゃないか。その中から適当なのを自分で選べばいいさ」と平島は暢気なことを言った。

「市販本であるのか」

「たとえば、無門関とか、なんだ碧巌録だったかな、本屋で売っていると思う」

「文庫であるかい」

「さあ・・・文庫じゃないといけないの」

「おれは文庫本しか買わないからさ」

「街の小さな書店にはないかもしれないな。あんまり売れないだろうし、この辺の書店では見つからないかも知れない。神保町の大きな書店に行けば見つかるよ」

平島は目の前のカップを取り上げると、レモンティーを男にしては小さな口に含んだ。

「公案というのは簡単なものは選んじゃだめだよ。『1+1=2』みたいな簡単に答えが出る物はだめだ。マスターベーションを覚えたばかりの12歳の少年みたいに、二こすり半で終わっちゃう。ボルトが10メートルも走らない間に終わってしまうようなのはだめだ」

「そりゃそうだろう、第一そんなに簡単な公案があるのか」と三四郎は言った。

「ははは、ないだろうな。ものの喩えだよ」。平島はオチョボ口をすぼめてレモンティーをもう一口啜った。

「それからさ、最初から絶対に答えが出ないと分かっている物は駄目だ」

「たとえば」

「宇宙にはじめがあるか、終わりがあるかとか無いとかさ。ビッグバンの前にはなにがあったのかとかね」

「ふーん」

「宇宙の広さは有限か無限かとかいうのもだめだ。人間はもともと善人か悪人か、なんてのもアウトだ。答えがないことが始めからわかりきっているからね。アンチノミーといってさ、カントがそんな物には答えが出ないと言っている」

「そもそも公案なんて質問が何を聞いているか分からない物らしいから、きみの言うような種分けなんて最初から無理じゃないの」

「そりゃそうかもしれないな」と平島は笑った。

やけに面倒くさいな、と三四郎は腹のなかで思った。その時に思い出したことがある。家に漱石全集があった。中学の頃に読んだ。一巻が3、4キログラムはあろうかという重たい初版本で、総ルビだったから中学一年の三四郎にも読めたのである。そのなかに主人公が神経衰弱になって鎌倉の寺に十日ほど参禅したくだりがあったような。そのとき老師から与えられた宿題があったような記憶がある。あれが公案というのではないか。

「今思い出したんだが、漱石の小説で主人公が寺の和尚に公案みたいな物を与えられたのがあったな」

ふいに浮かんで来た記憶なので詳細は思い出せない。一生懸命思い出そうとしていると平島が「それは門という小説だろう」

「そうそう、えーと宗佑だったかな、名前ははっきりとしないが、なんだっけ『父母未詳、いや父母未生以前・・・』かな」

「『父母未生以前 本来の面目如何』だろう」と平島が助け舟を出した。

「あれは宗助が(と三四郎は主人公の名前を思い出した)十日考えても老師の満足する答えが出せなかった、という筋だったな」

そうだ、こいつを少ししゃぶってみようと三四郎は思ったのである。

 


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