穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第N(13)章 女郎屋に連れて行かれる

2016-08-22 08:53:26 | 反復と忘却

品川のその家は彼の知っている日本家屋の家の造りとは全く違っていた。二階建てのその建物は一階も二階も、まっすぐな芸のない無愛想な廊下が真ん中にある。その両側に襖で仕切られた部屋が並んでいる。入り口の三和土には下足箱がある。三四郎は学生下宿なのだろうかと思った。その中の一室に平島と三四郎は入った。すでに十人ぐらいの人が座布団の上に座っている。

平島は天井から薄汚れた四囲の壁に目を走らせると訳知り顔に頷いて三四郎に囁いた。「これは女郎屋だぜ」

平島の方が世間のことは知っていたのである。というよりか三四郎は全くの世間知らずであった。彼はびっくりして「いまでも営業しているのか」と聞いた。

「馬鹿だな、今あるわけがないだろう。売春禁止法が出来たからね。昔の女郎屋のつくりだよ」と平島は訳知り顔に頷いてみせた。「世間の景気が悪いから、建て替えもせずにこう言う家があちこちに放置されているんだ。だから今日みたいな会合に安く借りられるんだ」 

平島が誘ったのは新興宗教の会合で座禅の実習を教えるというのである。平島は好奇心旺盛で宗教心理学の勉強だとか理屈をつけていた。ただ一人で行く勇気がなかったらしい。誘えば断ったことのない三四郎を連れて来たのである。出席者のほとんどは脂ぎった中年のおばさんたちであった。それに生気がなく、言われたことは何でも言うことを聞きそうなおとなしそうな老人が二、三人いた。

やがて初老のはげ頭の壮漢が入って来て、集まっている人たちに向かい合って上座の座布団の上に腰をおろして一礼した。彼に侍って入って来たのは中年の上品そうな婦人であった。壮漢が新興宗教の教祖であるらしい。くだけた口調で参加者の緊張を解きほぐす様にあまり上品ではない冗談を交えながら話しだした。

平島は座禅の会といっていたが、それは正座して行う呼吸法のようなものであった。三四郎が驚いたのはその「導師」が尻の穴で呼吸しろと教えたことであった。勿論比喩的な、分かりやすい表現をしたのであろうが、あまりにも直接的な表現である。まわりの叔母さん達の表情を三四郎がそれとなく横目でうかがうとすでに会場に雰囲気に自縛されたようで導師の言葉に何の嫌悪感を示さずに感心した様に頷いている。

1時間半ほどで教習というのか講話はおわり、三四郎は平島と外へ出た。

「どうだった」

「どうだったって、驚いたね。尻の穴で呼吸をしろというのはどういうつもりだろうな」と三四郎は言った。

「ちょっと度肝を抜かれたな。あれが教祖のキャラクターなんだろうな。ああいうパーフォーマンスはやる気満々の叔母さん達には効果抜群なんだ」

「よく知っているな」と三四郎は呆れて言った。

「常識だよ。ああいう手は常習的でね。宗教心理学のフィールドワークではイロハの知識さ」

「へえ、そうなのか」

「もっとも独創的ともいえない。尻の穴を重視するのはインドの行者もそうなんだ。尻の穴に注意を集中してそれからだんだんと意識を背骨を伝わって腹から胸、そして頭にもってくるわけだ」

「本当かよ」

「それが悟りを得る手段なんだな」

悟りを得る手段と聞いては三四郎も捨て置けなかった。今の無限地獄を抜け出せるかもしれないではないか。

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。